「石巻町報」第1号見つかる 市報の原点 大正11年発行
石巻市の広報紙「市報いしのまき」の原点となる「石巻町報」(発行・石巻町役場)の第1号が見つかった。発刊の辞で、当時の武山一郎石巻町長は「町務の状況を民衆に知らせる方法がなかった」と発刊の理由を説明。町役場は「町民諸君に報告」と見出しを立て、小学校や図書館、金融機関など閲覧場所を明記していた。町報は㈱青葉電気商会=同市鋳銭場=の店主、佐藤英一さん(75)の自宅で発見された。
「亡くなった父親の私物を整理しようと4月に自宅(水明町)にあった机の引き出しを開けたら、ビニール袋に入った四つ折りの紙が出てきた」と佐藤さん。色あせ、一部で破損もあるが、保存状態は良く、それが石巻町報の第1号であることが分かった。
合併で石巻町が誕生したのが明治22年。それから33年後の大正11年5月4日に町報第1号が発行された。今から101年前のことであり、サイズは現在のB5判にほど近く、見開き4ページ。表紙が町長あいさつ、2ページは町例規や会議などの行政情報、3ページは表彰や寄付一覧、4ページは警備や水難救護の情報と広告が掲載されていた。
武山町長は大正5年から第10代、11代と2期務めた。かどのわき町内会会長の本間英一さん(64)の曽祖父にあたる。武山町長は発刊の辞で「毎月町務の要項を印刷し、自治の発展に努める」と町報の継続的な発行に強い意志を見せていた。
一方、隣の記事で町役場は「町民諸君に報告」と題し「石巻町報と題する印刷物を時々発行することになりました。なお、初号は不準備につき、一部分を掲げ、次号より一新します」と明記。町長の強い思いに対し、毎月発行の準備がまだ整っていないことをうかがわせた。
現在の市報は各戸に配布されているが、第1号は「町の公務にある方々と関係官公署に配布する」とし、町民に対しては町内の尋常小学校や金融機関、各区長宅、図書館などを明記。「町民諸君は最寄りのところにてご覧願います」としていた。
このほか、見開きページの中央には石巻線の時刻表が掲載されており、石巻―小牛田間で1日6本運行されていたことが分かる。町民からの寄付は児童支援にかかる現金、電車模型1組、標本用戸棚1個など。表彰者に対する記念品として銀無垢(むく)の懐中時計が贈られていた。
佐藤さんは「発行当時、父は4歳。これは祖父からもらったものだろう。祖父は商人であり、家に届いたものではないので、どこからか入手したはず。掲載している情報は少ないが、当時の石巻の状況が浮かぶ」と語った。
原本はNPO法人石巻アーカイブ(小野寺豊代表理事)がデジタル化し、画像保存しており、小野寺代表は「石巻市役所の庁舎は昭和31年に全焼し、石巻の歩みを伝える書類が焼失した。たぶん町報もこの一つ。現存するのは貴重」と話していた。【外処健一】