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個人主義に憧れ続ける永遠の集団主義者



私の周りには突き抜けた変人が多い。

これは決して馬鹿にしている訳ではなく、関西人特有の愛のあるディスりというやつだ。笑

群れない。それは私からしたらとても格好のいいこと。そしてその変わっている友人たちは基本的にぼっちの人が大半な気がしている。

1人は好きだけど独りは嫌い

日本人は、中でも日本女性は、何をするにも一緒に行動をするのが正義みたいな節がなんとなくあって、かくいう私も例に漏れず小中高大と学生時代はグループに属していた。一方でいつだって、ここを抜け出して1人で外の世界も見てみたいとも思っていたのに、それが出来なかったのは、当時の自分の弱さ。

人と群れあいすぎると疲れてしまうけれど、所属欲求はある。一度離れてしまうと戻ってこれないかもしれないし、当たり障りなくやっていこう。そんな感じ。でも、きゃっきゃしていてもどこかで常に冷静な自分がいて、「何をしているんだ…?」とまるで頭上からその様子を人ごとかのように見ているような感覚があった。

それでも“群れない”という選択ができなかったその弱さの要因は分かりきっていて、やはり他人の目があったからだと思う。

よく国民性の違いで取り上げられる「沈没船ジョーク」は今や世界的に有名な例え話だが、確かにこの中で見れば当時の私は根っからの日本人タイプだった。周りに合わせていれば、出る杭が打たれることはないのだ。

沈没船ジョークを知らないよという方はこちら↓

<沈没船ジョーク>

世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかかっている。脱出ボートはあるが、乗客の数と比較して明らかに足りないため、その船の船長は乗客を海に飛び込ませようと、世界各国の方々に対していろいろな声掛けをする。

アメリカ人・・・「飛び込めばヒーローですよ」
ロシア人・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」
イタリア人・・・「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人・・・「決して海には飛び込まないでください」
イギリス人・・・「紳士なら海に飛び込めますね」
ドイツ人・・・「規則ですので海に飛び込んでください」
日本人・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」


ただ今回久々にこのジョークの回答を見比べてみると、しっくり来るのはアメリカ人・フランス人・イギリス人であることに気づく。

この変化は何ゆえ?
やっぱり身の回りにいる変人の姿を自分なりには追いかけてきたからなのだろうか。

ちなみに、私の思う「個人主義」はその人の属する組織や社会のことを考慮せずに個人の考えや利益を貫く利己的な人ということではなく、他人の意見には耳を傾けつつ、それでも自分の裁量で道を選択する人のこと。決して他者の目に依存しない。

そんな人たちはやっぱりかっこいいんだよな。
どうして?と聞かれると明確な言葉にはできないのだけれど。

まだまだ守りに入っている私が今年したことは、とてもちっぽけな集団への反骨精神だけれど髪の毛を緑に染めるということ(思考が反抗期の学生)

もっと自由に。そんな意味も込めてだったが、いつお偉いさんに会うかわからないし、結局オフィスでは見えないように隠してしまっている。笑
こんなところも結局はまだまだ集団社会から飛び出せない自分だな〜と思うのだ。

そんな私は、きっと個人主義者に憧れ続ける永遠の集団主義者。それでも、これからはとりあえず片足くらいは突っ込みつつ、生きていこうという決意。

でも応援される人ではありたいという欲。だってこうやって好き勝手ができているのは戻れる場所があるからだと思っているから。

なんだか書いていて、というより人生的にも、結局終着点がどこなのか自分でも分からないまま、電車をどんどん乗り過ごしていっているようなのだが、ひとまず行けるところまで行ってみよう。今はそんな心持ち。

どちらが正解ということはない。そして真の個人主義にたどり着けないであろう私は、結局どちらが自分に向いているかを知る由もないのかもしれない。

白か黒ではなく、グラデーションで。

2024年も、宙ぶらりんな自分を許しつつ狂っていこう。



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