知産知消:地産地消という虚しさ
語り得ぬものを語るほどに、無意識を意識するほどに、
不可能を可能にするほどに、未知なるものを知るほどに、
呵責を素直に受け入れるほどに、境界を越えるほどに、
善を改善し、悪を改悪するほどに、
言葉を言葉で否定するほどに、
過失を認め、故意を切に弁明するほどに、
世界は下らなくなる。
それはどうにも物足りない。
それはいかにもパッとしない。
いつも少しだけもの哀しい。
でも何のこっちゃない。
それでいいのだ。
知産知消
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〔下らない〕のという語は
かつて、出来の悪い物は江戸にくだらず、当地で消費されらたことから来ているらしい。
つまり、下るものとは、相手の好みに合ったおあつらえ向きのものであり、主導権があちらにある状況下での「良いもの」にすぎないのだ。
下らないものに豊かさを見出さないことは、まんまと時代に搾取され、自らの身を亡ぼす道を選ぶことに限りなく近い。
「自分の物足りなさ、くだらなさ、つまらなさ、みすぼらしさ、儚さをしっかりと抱いていなさい。何事も治そうなんて思ってはいけない。」
そうでなければ、ありのままの自分を卑下することになる。
自分に誠実でない者が他人に誠実になどなれるはずがない。
自分を否定することは世界を否定することであり、されば人の世は瞬く間に【あくなき恐怖と劣等感】によって支配されるであろう。
「不意に手に入ったもの以外、本当の意味で手に入れることはできない。」
私産私消
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「誰かのために」なんて思うな。
「自分のために」人を救え。
「自分のために」人を愛せ。
「自分のために」家族を養え。
「誰かのために」とは、とどのつまり「自分のために」誰かを利用することに他ならない。それは利他を志した利己であり、かえって純粋な利己よりも自己中心的であくどい。
誰かの犠牲、誰かの努力、誰かの空元気、誰かの狂気
の上に成り立つ世界なんて、
更なる【抑圧・転嫁・虚構・発狂】を呼ぶだけだ。
立派な成果も、誰かにとっての迷惑だ。
立派な偉業も、誰かにとっての重荷だ。
あんまり無茶はしなさんな。
お願いだから。
無茶すんなよ。
これだけは、マジで、ほんとに。
鬼産鬼消
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浮かんでは消えるもの。
あると思った時にはすでにないもの。
気付いたことにすら気が付かないもの。
目に映っているのに見えないもの。
時産時消
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地産地消って要は、虚しさってことでしょ。
経済だの健康だのなんだ言って素通りしないで、
そこんとこ一回ちゃんと受け入れようさ。
基本的に全部、誰かのマッチポンプなんだから。