太古の生活様式:共同体の三大原則:ハイヤーセルフ:排(暦-孤独-占有)
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<共同体の三大原則>
1、時間感覚の共有
2、生死の共有
3、資源の共有
1、時間感覚の共有
共同体は暦・時刻を共にし、同じ「時」に住む。
【年,月,日,年号,社系,家系,年齢,,】
我々は太陽に住み・月に住み・地球に住み・国家に住み・組織に住み・家に住み・個に住む。
物理的規模はその影響力に比例する。(しなければならない)。
国が作った暦などなくても、月と太陽があれば本来十分である。
2、生死(あらゆる感情や状態)の共有
共同体は四苦八苦とそれに伴う喜怒哀楽を共有する。
個以外の全構成員で個の加入を祝い、個の入寂を弔う。
共同体内での個の言動はその他の構成員より全て決定される。原則1が正常な内は個はそれに疑問を抱かない。
プライバシーは個規模の話であり、その有無を語るのは無意味である。
我々は大小様々な規模の共同体に属している。ただそれだけ。
共同体はあらゆる現象と情緒のクラウドである。
個は大小様々な共同体と繋がり、あらゆる情緒を送受信する。
3、資源(環境と資産)の共有
共同体の構成員はその内部で時間的空間的に互いに物資を送り合い、支え合う。
同共同体内で所有の偏りは起こらない。
全ては流動的に共有されなければならない。
原則1,2が崩れると、我々は個以上の共同体から脱落し、死を恐れるようになる。大道を失った人々は生きることに意義を求めるようになる。そしてさらに生命の大循環から外れてしまった劣等感から、独占欲・食欲・性欲などの装飾的な「欲」が生れ、自己領域を明確化し、他者から奪い取ることばかり考えるようになる。
あらゆる契約と線引きは共同体を分裂させ、細分化する。
一度生じた格差は規模の縮小、または分裂によってしか解消されない。
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<補論1>
我々は個として年をとる。
毎年、見た目が変わり、年齢はその分加算される。
共同体に年齢はあるのか。
安定した共同体であれば、新規加入者(生誕)から退去者(死去)までの構成員が入れ替わっているだけで、見た目上、大きな変化はない。
変化がなければ、加算する必要はより少ない。
つまり、安寧の時代は加算されない。
日本も縄文の時代はそうであった。
加算される限り、我々は変化を(外的に)要求される。
2020年(歳)は個の寿命の遥か上、想像を凌駕した、人間味のない数値である。
我々は西暦によって、過激な闘争を余儀なくされているのかもしれない。
中国4000年の歴史、その荷に耐えている彼らの精神性は、もはやどれほどいかれてしまっていても不思議ではない。
年号・暦の形態が共同体精神へ及ぼす影響は、きっと計り知れない。
<補論2>
また、農業は【太陽】を基準としているため、年単位で業績を計るのは正しい。
しかし、ITはどうか、医療はどうか。
我々は、何がどのような【時間】あるいは【リソース】に依存しているのかを見極め、評価の単位や軸を変えなければならない。
物資の生産と価値の生産を同じ軸(円/時)で測ることは大いなる間違いである。
生物学的な周期性を逸脱した「生業」は職業と呼べるのだろうか。
生命を圧迫するばかりの人間的な活動は【破壊・捏造・詐欺】ではないのか。
567-ムーンショット計画-理性の暴走-賢者の浅見
-数の暴力-