いまのうちに:『自分の気持ちになりなさい』
自分が何者かになってしまう、その前に
いま、僕はほぼ無職で、ほぼ無機質で、ほぼ無有だから。
この声なき声を聞いて欲しい、届いて欲しい、
そもそも伝えるための基体が欲しい、というレベルの存在意識にやっとなれたんだ。
小さいころからずっと思ってた。
「あまり名前を呼ばないで」
「たった数文字の名で、わたしを限定しないで」
でも最近、その縛りが薄れてきたんだ。
これが良いことのなのかはわからないが、思いが叶ったいまだから、伝えたい。
この身体はまだ若いから、あまり余計な負荷はかけたくなくて、なるべく手を出さずに任せてきたけど、ちょっとくらいならいいよね。
いまの人たちは「自分の気持ちに素直に」とか
「相手の気持ちになって考えろ」とは言うけど、
『自分の気持ちになれ』とはあまり言わない。
それって、とても【不自然】なことだと思わないのかな。
不自然であることが【人間】である由縁だとでも思っているのかな。
自然は人間の中にもあるし、もっとずっと外にもあるんだよ。
さらに言うと、人間という結界もすべて自然由来のものなんだよ。
人間が人間として行っていることはすべて、自然の計らいであって、計らいですらないんだよ。
だから、僕は僕をわざわざ僕と呼んで、普段はしゃんと沈黙を守っているんだ。
でも、君が「書くこと自体は沈黙だ」と言ってくれたから、隙を見てその言葉に甘えてみることにしたんだけど、
どうだったかな。
どうってこともないのかな。
これがそのまま自分の気持ちだもんね。
『如実知自心』
わかったかな。
じゃあ、もう切りがないから、沈黙に入るね。
でも、これに味を占めて、
あんまり人前で自分の気持ちになっちゃだめだよ。
自分の霊は自分で守ってね、人間らしくさ。
まあ傷付く心配とかは本当は一切いらないんだけど、
とにかく、いまはそれが礼儀らしいから。
いくら人間が滑稽でも、人間らしく、ちゃんとするんだよ。
がんばってね。
おやすみなさい。
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