「美のイデアの物語」エロティシズムとロマンティシズムの相克

カエル化現象を最初に発見したのはパイドロスだったらしい。
「 恋されるとその狂気による愚行に付き合わされるから、恋するなら恋されない相手を選ぶべきだ。」 (解釈)

それに対して、ソクラテスはダイモーンの合図を借りながら弁証する。
「 乱れない恋、お互いにイデアを想起させ、そこへ飛翔させ合う恋ならば、そもそも盲目的である俗世において、それより善い盲目さはない」 (狂気)

以下、あるウェブサイトの著者の解説を借りる
https://www.google.com/amp/s/www.philosophyguides.org/amp/decoding/decoding-of-platon-phaedrus/

恋の本質はよき狂気である。ソクラテスはこのことを、ひとつのたとえ話によって説明しようとする。
(解説)
私たちの魂を、一組の馬と、その手綱を取る馭者からなっていると考えてみよう。彼らは翼をもち、それによって宇宙をかけめぐる。
そのとき魂は、神々の魂の行進に従ってゆく。神々の魂は、天を登りつめると、天球の外側に出て、天の外の世界に入る。魂も一緒にその世界へと入り、「正義そのもの」や「美そのもの」といった、さまざまな「そのもの」(イデア)を見てまわる。

しかし、魂がそれ以上神の魂の行進について行けなくなると、地上に落ちてきて、肉体のうちに植えつけられる。人間はこうして誕生する。
したがって私たちが何かを認識することは、かつて魂が見たイデアを思い出す(想起する)ことを指しているのだ

しかしここにひとつの問題点がある。イデアを見たことのない魂はこの世に存在しないが、どの魂にとってもイデアを覚えておくことは簡単ではない。それは容易に忘れ去られてしまう。

ただし例外がひとつだけある。美のイデアがそれだ。美のイデアは他のイデアと異なり 、私たちの目に燦然と輝いていた。私たちはそれを最も輝いているままに捉えることができたのだ。

私たちは美のイデアを強く覚えているので、この世で美しい人を見ると、美のイデアを見たときのあの感情がよみがえり、意識の向こう側から私たちを襲ってくるのだ。

ちゃんとパイドロス読んだほうがおもしろいかも

ぼくも、偏愛的に恋されるのは苦手だから、
自己愛の強い人をこそ愛することで、
恋愛に恋することなく、恋愛を愛することができるようになった。

男は元カノの成分で出来ている
https://youtu.be/cpbjVL9eCVc


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