ビジュアルノベルが辛い時代だってばよ
いや別にナルトは関係ない。なんなら漫画もアニメも完走していないので、語れることはあまりないくらいだ。それでもサクラはサスケと結ばれるべきだろう、と思ったし、ナルトにはヒナタだよな、と思ったことは覚えている。ボルトはまったく知らない。
ともあれ。
タイトル通り、ビジュアルノベルーー言ってしまえばエロゲーやギャルゲーががしんどい時代である。いや、一時期の隆盛というか、オタクであるならばエロゲをやっておくのが嗜み、みたいな時代がおかしかったようにも思うが、俺はその時代の残滓が漂う時代にエロゲ界隈に足を踏み入れた身なので、その時代は語れない。その時代、俺は健全にギャルゲーをプレイしていたからだ。言うほど健全か? いやだが、エロシーンはなかった。健全であろう。たまに予期せぬバグのような一撃が飛んできたが……。
話を戻すが。
大ボリュームのテキストゲーが受けない時代である。コスパの面でも、タイパの面でも。それは仕方ない。フルプライスでは一万円を超えるゲームなのに、物によっては二十時間程度で終わり、挙句にゲーム性といえば選択肢を選ぶくらいだ。コスパもタイポも終わっている。昔のエロゲにはゲーム性があるものが多かったが、結局は、メーカーの方にそれを作り続ける器量がないのと、いわゆる泣きゲーが受けたことで、感動のために余分なノイズは取り除かれたために、それは消えてしまった。
そんなビジュアルノベルにおいて、独自のゲーム性を打ち出したのが「Ever17」と、「I/O」、「ルートダブル」ではないかと言える。つまり、中澤工が生み出したゲームたちである。コンセプト的には「Remember11」もこの中に入るというか、最もゲーム性というものに対して喧嘩を売ったのだが、カウンターで虐殺されたようなものなので、ここでは語れない。過去に語ったし。
さて、この中澤工のゲームに置けるゲーム性とは、プレイヤーだけが使える特異な能力――セーブ&ロード、リプレイをすることで何度でもゲーム世界に没入し、感情移入することでどうしても救えないゲーム世界を救ってしまえる第三勢力としてゲーム世界に介入する、というものだ。
「Ever17」や「ルートダブル」の二本がわかりやすい。前者は劇中のキャラクターではどうしようもなかった悲劇をハッピーエンドに変えるために、プレイヤーをゲーム世界に感情移入させて、その神と言っても過言ではない前述の能力を以ってして幸福な結末を生み出させるゲームだった。
「ルードダブル」に関しても、主人公と一部のキャラの持つ特殊能力だけでは解決しきれなかったが、最後の一押しをプレイヤーという神の一手で決めることで解決したわけである。
「I/O」はこの意味合いからは少しずれるが、プレイヤーの協力を得て、プレイヤーさえも介入できない真なる自由な世界へ辿り着く作品であった。
これらの、プレイヤーをゲーム世界に没入させ感情移入させることでゲーム世界を救う、というのは他の媒体では難しい。小説や漫画、アニメで何度も何度もやり直すプレイを見せられるのは疲れる。涼宮ハルヒのエンドレスエイトに近しいことをすれば、どうなるか。それは言うまでもない。
だからこそ、これはゲームーーそれもビジュアルノベルだけが持つゲーム性ではないか、と思うのだ。
もっとシンプルに言えば、泣いている誰かを笑顔にしたい、という想いをゲーム性というものに昇華させた、というわけだ。いわゆる泣きゲーはそのロジックで作られていた、と言ってもいいだろう。が、プレイヤーを言ってしまえば利用しきれずに、自滅していったわけだが……。
コスパとタイパの悪さを逆に利用して、プレイヤーをゲーム世界にがんじがらめに縛り付け、ゲーム世界を救済するまで拘束し続ける――それがビジュアルノベルだけが持つゲーム性である。
……とは言ってみたが。
今時の軽いエンタメが求められがちな風潮とはマッチしないから、難しい話である。実際、中澤工は表舞台から消えつつあるし、その地を受け継ぐ5pbは未だにシュタインズゲートを引っ張り出す始末だ。あれもオカリンを通して、ゲーム世界を救いたい、とプレイヤーを本気で思わせたことで成立した作品だが、さすがにもう賞味期限切れだと思うのだが、はてさて……。
俺はギャルゲーが好きだから、これからも生き続けて欲しいが、いずれ消えていくかもしれない。この世界にただひとつ確定的な真実があるとすれば、それは、永遠はない、ということだけだから……。