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それなりに幸せな人生を歩んでいると思っていた私が未来に向けてコーチングを受け始めた話【vol.2】

昨年の10月にコーチングを受けることを決意したnoteを書いてから、あっという間に5ヶ月が経った。

無事5回のコーチングを受け終わったのが12月の上旬のこと。

考えたいことも、書きたいこともたくさんありながら、時間に余裕がない日々を送っていると、あっという間に年を越し、気づいたら「あったかい」と思う瞬間が増えてきた。すぐそこまで春が来ている。

そうやって「時間に余裕がない」と誤魔化しながら、書くことに向き合えない日々を過ごしていることに突然嫌気がさしたのが、3月5日の23: 05分。

突如思いついたように、パソコンの前に座っている。

「もっと計画的にコーチングを受けた日々を整理しながら書く方が良いんだろうな」とも思ったけど、整理してまとめたものは、コーチングを受け終えて半年とか1年ぐらい経ってから、ちゃんと書きたいので、このnoteでは今、感じていることをつらつらと書いていこうと思う。

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コーチングを受け始めたのは9月ごろだった。1回目のコーチングを受け終えた後ぐらいにちょうど友人と会う機会があり、コーチングを受け始めたことの話すと、「コーチングって受けたら何が変わるの?」と純粋な疑問をぶつけられたことをよく覚えている。

友人曰く、「カウンセリングとは違うことぐらいしか知らない」らしい。そう言われてみると、私も詳しい説明ができないな…と思いながら、5回のコーチングを終えた今、もし改めて友人に「何か変わったの?」と聞かれたら、「変わったよ」とは言い切れるけど、「何が変わったの?」と聞かれたら、「心の持ちよう…?」としか答えられないような気もしている。

これまで私はずっとこうやって自分で幸せの限界を決めていたのだ。「このままでいい」と自分にストップを出して、その場で足踏みをする。どうしてそれをしているのかはまだ分からないけど、前に進もうとするたびに、「それなりに幸せ」を言い訳にして、自分の人生を止めていたのは紛れもなく自分自身だった。


2023.10.06-noteより

きっとこのままでは、5年後も、10年後も同じことを感じて、それなりに幸せな自分で生きている。きっとその人生も良いものだと思う。でもこのままでは死ぬまで登り始めた山の山頂にはたどり着けない。

2023.10.06-noteより

そもそもコーチングを受けようと思ったキッカケは、「このままではずっと同じ人生だ」という感覚が、コーチであるさえこさんとのヒアリングを通して伝わってきて、「何を変えたい」かはまだ明確に分からなかったけど、「今のままではダメ」というほぼ直感を信じたからだった。

そんな直感を信じたことで、これまでなら途切れていたような流れが動き始めたとき、「この流れは自分の選択で手に入れることができた結果」と思うことができた。これは私にとって、かなり大きな一歩になったと思う。

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コーチングを受けるなかで、意識的に行ったのが「人と会うこと」と「日記を書くこと」だった。

フリーランスの仕事を始めてもう5年以上が経ち、昨年まで携わっていたプロジェクトが一旦終わったことで、本当に人に会わなくなった。
スマホのカレンダーの予定は「ネイル(月1)」「美容院(2ヶ月に1回)」しかないことなんて当たり前で、あったとしても友人との食事が1回ぐらい。それも誘われたら行くという受け身ぶり。

そんな私のスマホのカレンダーに「予定あり」を示す丸が9個もついたのが、2023年の12月のことだった。多分この月のことは、生涯忘れることができないと思う。そのぐらい、人と会い、言葉を交わし、お酒を飲んだ。

コーチングを受けるなかで、私のなかで明確に芽生えたのが「人と平等に関わりたい」という気持ちで、「どんな人に対しても必要とされる存在でありたい」という欲求は、自分にのとっての生きていく理由であることを知った。

人と関わり合って自分が成長していくことが、自分の人生の使命かもしれない。 いち個人として一度きりの人生を生きていくために、人と関わるのが大事。人と関わっていることを楽しむ。

コーチングの初回に受ける目的を考えたとき、さえこさんと言葉を交わすなかで、この想いがが出てきたとき、すごくスッキリとして、「もっとシンプルに生きていいんだな」。と思ったことをよく覚えている。

自分の性格や人との関わりを考えると、どちらかといえば、人間関係に積極的でないように見られがちだ。実際、大人数の飲み会が苦手とか、言い始るとキリがない、人間関係を築くうえでの条件みたいなものはたくさんあるけれど、そういった細かいわだかまりを取っ払うと、「私は人が好きだし、人と関わってる時間を楽しいと思ってる」という考えにいつも辿り着く。

だから、「コーチングを受けていること」をある意味言い訳のようにして、背会いたい人に「会いたい」と言った結果、スマホ画面に現れたのが9回の約束だった。

正直、出不精の私にとって1ヶ月に9回も外に出ることはかなりストレスで、途中「もうええかな」と思うこともあったけど、誰かと会って話をして、「バイバイ。またね」というときは「楽しかった~」と心から思えている自分に出会えた。

そんな12月から約2ヶ月以上が経った今は、月に会う人は2~3人ぐらいに減ったけど、それでも誰かと会う約束が必ずあることが当たり前になり、それを素直に「楽しみ」と受け止めている自分にも出会えている気がする。

多分、どこかで遠慮している部分や、「自らは誘わない」みたいな、恥ずかしながらもあった小さなプライドが、本当に好きなことに蓋をしていたんだと思う。

コーチングと聞けば、もっと人生の変化とか、トラウマの解消とか、そういうったものを思い浮かべる人も多いかもしれないし、実際、私もどこかで「大きく人生が変化するキッカケに」と思っていた部分もあったけど、私はコーチングを受けた変化のなかで、「人との関わることに素直になれた」というのが一番の変化だったと思う。

この変化は、文字だけでみると大きな変化には見えないかもしれないけど、よくよく考えてみたら、今の私には「誰かと会うこと」が日常に当たり前にあって、これは去年の自分ではあまり考えられなかったことなので、コーチングで素直になれた結果だと思っている。

そうやって、私が受けた5回のコーチングは「自分と人との関係性」について深掘りする機会も多く、元々目標を立てることが苦手だった私に、「人と関わる自分で在るうえでにやってみたいこと」を気付かせてくれる機会にもなり、大きな括りの「成し遂げたいこと(夢)」も見つけることができた。

あと、コーチングを受けたことがキッカケで始めたことでいうと「日記を書くこと」だ。手書きが苦手なので、毎日Instagramのストーリーに「感情日記」と題して日記をアップすようになった。

とはいえ、かなり個人的な話で、気持ちに嘘もつきたくなかったので、見れる人は顔見知りのみにはしていたけど、いまだにこの日記は書き続けていて、最低でも週に1~2回は投稿している。

有難いことに友だちがこの投稿を気に入ってくれて、「毎日書いてよ」と言ってくれたり、「読んでるよ」と報告してくれたりすることもある。そんなときに、「私は”伝えたい”という想いを持っているんだな」と思うことができた。

仕事柄、読んでくれる人に届ける文章を書く機会は多いけど、「自分」という存在を言葉に乗せて届けることには抵抗があり、こうやってnoteを書くことぐらいしか、自分を外に出すことがない。

「知ってほしい」「読んでほしい」という気持ちは人一倍もっているはずなのに、「思うような結果が出ないことの恐怖(人から必要とされていないと感じること)」が原因で、なかなか表に発信できなかった。

この「知ってほしいと思っている自分と向き合う」というのもコーチングを受けて、かなり考えたことの一つだった。

自己肯定感は低いけど、自分のやっていることや、好きなものにはちゃんと誇りがあって、それを伝えたい気持ちはあるけど、自分というフィルターを通して外に出すことで、「認めてもらえなかったら、それってつまりは自分の存在否定みたいになるよね…」と思うことがあって、GOを出してあげることができなかったようにも思う。

ただ、「だからといって私は人前に立ちたいのか?」と問いかけをすると、どれだけ素直な自分になっても、「絶対にそう」とは言い切れず、すごく現実的な話にはなるけど、「こんな世界で自分のSNSに鍵をつけないなんてありえない」と思っている自分もいるのが正直な部分もあるので、「見せたい自分」と「別に見せなくても良い自分」の区別をすることを決められたのも、変化のひとつ。

『自分であることへのこだわりが強いが故、自己肯定感が低くなることも多いわりには、「知ってほしい」という気持ちもある』という、厄介な矛盾の存在には気づいていたけど、なかなか向き合うことができず、そんな問題を抱えているのも含めて、「全部私の人生だな」と思えたのは、かなり大きい。

年齢を重ねるにつれて、「いい意味で諦められるようになった」と思っていた部分があったけど、コーチングを受けた結果、「どれも諦めなくて良い」と、受け取り方を変えることができた。

「だから私は約2ヶ月ちょっとの期間コーチングを受けて変わることができた」と自信をもって、言えるのだと思う。

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「変われた自分」を自覚できたうえで、少し言葉に残しておきたいなと思ったのが、ここ最近の精神的な揺らぎだった。

コーチングはあくまでも自分と向き合う機会を作るものであり、その時間を経たから、精神的に強くなって落ち込まなくなるというわけでもなければ、むしろより以前より考える機会が増えたことで、深く落ち込む時間が芽生えたような気がしていた。

もちろん、これは私個人的な考えになるので、コーチングを受けて精神的にタフになった人もいれば、落ち込む機会が減った人もいると思う。

むしろ私にも前向きな変化があり、人生に対する気持ちはちゃんと前を向いているけど、在りたい自分を追求する準備が整ったことで、より深いところに潜れるようになったことが、これまで感じたことのない気持ちを引き寄せているのだと思った。

とくに2月の後半から、かなり落ち込むことが多く、ただそこに存在しているだけで深いため息が出たり、心臓がバクバクしてきたりと、「明確な悩みがないのになぜかつらい」みたいな時間を過ごすことが多かった。

とにかく仕事が忙しかったので、とにかく毎日を積み重ねることで、少しずつ元の状態に近づけているような気もしたけど、根本的な改善はやっぱりできていないような感じ。

頭の中に浮かんでくるのは、バケツからドバドバ溢れだす水だった。それが、仕事の忙しさでなんとか溢れ出さずにタプタプと音を立てて、水面がゆらゆらよ揺れているような感覚。このシーンが頭の中に浮かんでくるたび、「しんどいな」「ギリギリだな」と言葉に出すしかできなかった。

「いつかまた、溢れだしてしまうんじゃないか」という不安だけがここ最近の悩みだったけど、このnoteを一旦書き終えた3月6日の24時過ぎ。お風呂に入っている最中に、「そっか。経験したことがない悩みだから分からなくて当たり前か」と突然思った。

コーチングを受けたことで、在りたい自分の姿や、これまで意識できなかった未来が見えたことで、ちゃんと心に変化があったから、大きく日常や私自身が変わっていなくても、どこかで「進みたい」という焦りが生まれていたのかもしれない。

どちらかというと私は10代のころから、よく考え、言葉にするタイプだったと思う。だけその言葉の多くは「自分だから考えられること」であり、良くも悪くも変化はなかったようにも思う。ずっと同じことを考え、悩み、それがループしている感覚。

そのことにすら気付けていなかった。

だから今回、とんでもなく落ち込み、原因が見えず、「どうしたらいいんだろう」と不安になった毎日は、自分が変わったからこそ悩みや、不安の種が変わったんだと思う。

だから、お風呂に入りながら「そりゃ、悩んで当たり前だな」と、少しだけホッとした。28年生きてきて、ある意味新しい自分になれたからこそ、感じたことのない悩みがあって、だから初めて向き合った今、落ち込んだり、解決策が見えなかったりするのは自然なことかもしれない。

そう思うと、コーチングを経て、ちゃんと一歩踏み出せたんじゃないかなとも思う。今抱えている問題とどうやって向き合うか。自分なりにじっくりと考えてみたい。

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次回、Vol.3を更新するときは、さえこさんとのコーチングで何をしたのかや、半年以上経っての変化をまとめようと思っています。その際はまた、読んでもらえると嬉しいです。

また数ヶ月後にお会いしましょう。

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【2ヶ月間お世話になったコーチ:さえこさんの紹介】

・公式サイト:one storyコーチ しゃにさえこ (shanisaeko.com)
・note:しゃにさえこ|onestoryコーチ|note


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響あづ妙
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