#8 今日の国際情勢について16歳が思うこと
こんにちは。
最近の悲しいニュースを聞くたびに胸が痛くなる。
「戦争」が世界史の教科書で見る過去のものでしかない私にとって一時期Twitterにトレンド入りしていた「第三次世界大戦」という言葉は実態のない恐怖とともに抽象的すぎるがために体がうまく理解できない。
ここで「戦争」と聞くと思い出すお話をする。
あなたがもし、上司なり先輩なりに「明日あなたの隣の席の人を殺してください」と言われたとしよう。もし殺さなかった場合あなたがなんらかの手段によって殺される。
幾分かの迷いや罪悪感はあるものの、あなたはこの命令に従うことを決めた。
さて、どうやって何をつかって殺すだろうか。
展開が早すぎて戸惑うあなたのために親切な私が選択肢を用意した。いずれの選択肢も成功率100%としよう。
①キッチンにあった包丁でひとつき
②あらかじめ用意していた時限爆弾を遠隔で操作
恐らくほとんどの人が②を選んだのではないだろうか。私も②を選んだ。
この二つの違いは「直接的」であるか「間接的」であるかというところにある。言い換えれば、相手の「顔」を見ないで済むかどうかだ。
いくら決心しても彼らが殺される筋合いはないし、それはあなた自身も十分に理解しているはずである。
だからこそ彼らの「顔」を見たときに、それから発せられる「生への意思」があなたをと惑せ、苦しめる。
これは20世紀のユダヤ人哲学者レヴィナス思想の一部を私なりに噛み砕いた内容だ。彼は第二次世界大戦中、ナチスによってほとんどの親族を失い、人間が戦争に飲み込まれてゆく現実について思考した。
「顔」から逃げることは簡単で、卑怯だ。レヴィナスの時代よりも兵器ははるかに高度化し、Alが自動で敵を判断し勝手に殺すこともできてしまう。
根拠のない大義名分を押し付けられ戦場に赴く者と、自らの国を守ろうと命を投げ捨てて戦う者。お互いの「顔」と向き合うとどんな結末が生まれるのだろう。