正気の彼にフォーカスすることの大切さ。
ぼくらはどうしても見た目の影響を受けてしまう。
できれば整体指導では見た目に惑わされずに
目の前の人に触れて観察を進めていきたい。
触れて感じとったことが真実だから。
とは言っても見る目が育ってくれば見た目で分かることは増えていく。
だからこそますます触れて観察することが大切になっていく。
整体指導を受けている方から息子も整体指導を受けさせたいと依頼をいただいた。
正気のときはいい子なんですが
正気を失っている時は殺されるかもと感じることがあるという。
幻聴が酷くて常に誰かと会話をしている。
幻聴が酷くて暴れて施設から退去させられてしまったのだそう。
当然、整体指導の前の挨拶もままならない。
その彼が僕の目の前でうつ伏せになって
彼の背中に手を当てて気を通していく。
ぼくの愉気を受けていた彼から飛び出した最初の言葉が
「優しい手ですね」だった。
彼が発したその言葉は
何故だかぼくをものすごくドキッとさせた。
ドキッとしたのはその言葉のせいだけじゃなくって
あの瞬間
まだ壊れていない部分の彼がぼくに話しかけてくれたと感じたからだった。
愉気に感応して現れたのは正気の彼だった。
見た目や、行動によって
おそらく大部分の方は壊れてしまっている彼にフォーカスしてしまうだろうことは想像に難くない。
けれども彼に触れて愉気を行う者であれば
彼の中の健やかな部分にフォーカスして呼びかけていくことが大切になる。
発狂したと言われた人たちが
野口晴哉先生の前では正気の振る舞いをしていたのは偶然じゃない。
師匠の田総先生が後輩の60代の整体指導者を評して
あいつも人の良い面を見ることが出来るようになったら
整体指導者として一皮むけるのに惜しいことだと漏らしていたのは何故か。
整体指導者として問われるのは
目の前の人の何にフォーカスしているのか。
ぼくが「優しい手ですね」と言われてドキッとしたのは
まさしく目の前の人の健やかなる部分に
おまえは目を向けているのかと問いかけられたような気がしたからだった。
どうしても調整すべきものとして病気を捉えてしまいがち。
病気をちゃんと表現できている健やかなる働きに目を向けるのを忘れてしまう。
投げかけられた一言は
ぼくの中で波紋を広げていったのでした。
あの瞬間、何故だかとっても大切なことを教えてくれているような気がした。
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