あなたのカラダの中に、今まで生きてきて受けた全ての打撲が残っていると言ったら嘘だと思うでしょ?
人間は動くことで要求を果たしていく動物。
打撲なしで人生を終えることはない。
師匠の野口晴哉が
「われわれは癌よりも打撲を警戒しなければならない。」
と、古い講義録で話しているのを見たことがある。
打撲に注意を払うように強調して言っているのだな。
その時は、その程度の印象だった。
稽古にて組んだ友人の頭に愉気をしていた。
愉気をした処は、彼の一番鈍っていた頭部第五調律点。
急に彼が
イタタタタタと言いだした。
どこが痛いんだと聞くと、右の鎖骨が猛烈に痛いと言う。
わたし右の鎖骨なんて触れてないんだけど・・・
「もしかして鎖骨折ったことない?」
「あーーー、そこ折ってるわぁ。」
昔、バイク事故で右の鎖骨折ったことがあると言うではないか。
まさしく折った直後に感じた痛みと同じだそう。
そりゃ、痛いわな。
へえ~、打撲ってカラダに残るのか。
打撲した処は、気が通りにくくなり、鈍りとして残る。
だから、打撲した処に愉気をして、残らないように打撲を剥がしていく。
気の通りが鈍くなると、その場所と連動しているカラダ中に影響が伝播していく。
体を鈍らせる一番大きな原因は打撲。
整体に回復していく過程で、突然痛みを感じることがある。
たいていは過去の打撲の箇所。
半身が委縮している方など、
そちら側で20年前に複雑骨折しているとか。
50年前に尾骨を強打して1週間ほど動けなくなったことがあるとか。
そして打撲の呼び起こしの愉気をしていくと、委縮している半身が伸びてきたりする。
打撲の調整でカラダが変われば、打撲起因と判断できる。
異常があるところに痛みを感じるのは正常。
鈍りがとれてきたということ。
痛いというのは、その場所を感じとれていることに他ならない。
だから、その場所に気が集まってくる。
痛みはとっても大事な防御機能だ。
痛みだすと、わたしが何かやらかしたんじゃないかと邪推してくる人もいる。
ところが、痛みを発している処が過去の打撲と結びつくとみんな一様に納得する。
まさに、これはあのときの打撲だぁ。
車にひかれた後遺症で、介護の仕事がもう続けられないという。
お尻にあきらかに気の気配がおかしい処を発見。
まさにそこが強打した場所。
全身の変調は交通事故のあとに出てきたらしい。
病院では因果関係不明と診断されたんだそうだが
医学的に証明できないだけであって、因果関係はあるに決まっている。
当たり前です。
そこで打撲の呼び起こしの愉気を行った。
整体指導が終わりましたよと彼女に告げたんだけど、痛すぎて寝返りも打てない。
車にひかれた直後のようだと言う。
そりゃ、痛いわけです。
右の後頭骨に触れるとあきらかな異常感を感じた女性。
伺ってみるとそこは打撲はしていないという。
確かに車やコンクリートにぶつけた人の感じとは異なる。
点ではなくて面の広がりを感じる異常。
そこにジィーっと愉気をしていく。
受けている彼女はジンジン感じてそこに異常がある事は感じられるとのこと。
なんだろう?この異常。
10分以上愉気をしていて、ふと面でぶつける状況もあるんじゃないかと。
例えば、ヘルメット被っていたり、毛糸の帽子を被っていたりとか。
「もしかしてスノーボードやりますか?」
わたしがその問いを発するや否や大きな声で
「あっ、思い出した!」
15年以上前にスノボで転倒して気を失いそうになるほど頭を強打したんですって。
そのまま異常に愉気を続けていくと面として感じ取っていたものが徐々に点となっていった。
その1点はまさに打撲の中心箇所でした。
本人も忘れていたのに。
カラダには刻まれているということだよね。