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いのちを運営している本体に出会おう。
ぼくらは健康に過ごしていると
自分のいのちを営んでいるカラダ、無意識運動に目を向けることはない。
心身に不調を感じるようになって初めてカラダに目を向ける。
ところが感じた不調って、カラダからのメッセージだったり
そもそも不調を回復させるための治癒過程だったりするのに
痛い~
苦しい~
辛い~
って感じるもんだから病気というレッテルを貼ってしまう。
いまだにこの感覚の人が大多数。
1000年前の人間と変わらないカラダに対する無知。
分かりやすい例だと
風邪をひくと「しまった!」って思っちゃうの。
カラダは冷えを解消するために発熱していたり
侵入したウイルスを死滅させるために発熱していたり
いずれにしてもカラダは目的もなく発熱している訳じゃない。
発熱しないと解消できない問題があって
その問題解消のためにカラダは発熱している。
その発熱に対して「しまった!」って
カラダに失礼しちゃうよね。
![](https://assets.st-note.com/img/1716773299214-hsY1AT4fLR.jpg?width=1200)
けれどもぼく自身も活元運動をする以前
世の中の大多数と同じ感覚で生きていたころは
発熱すると「しまった!」って思っていた。
悪寒がしてくると「しまった!」って
振り返るとカラダに対して失礼なことを思っていた一人だった。
ところが病気というレッテルを貼っていたものの正体が
カラダの回復要求によってホメオスタシスが働いて
回復させようとする働きであることに気づけてからは
しまった (>_<) → しめた (^^)/
って思うようになった。
整体指導を受けたあとにカラダが発熱したり変動を起こすことで
心身が整っていくという過程を何度も体験できたことで
カラダとの向き合い方が変わってしまった。
カラダの変動を怯えて受け取ってしまう傾向の強い人は
知識として知っていてもカラダの変動に対する怯えは消えない。
自分の意識で健康を保っているという勘違いOSに気づく必要がある。
それには自分の意思とは関係なくカラダが勝手に動くという活元運動が一番効果がある。
頭をポカーンとさせて、カラダの力を抜くと
カラダが勝手に動き出して、カラダがやりたいことをしようと動き出す。
自分のいのちを運営してくれていた本体の存在が露わになる。
この動きによって自分のいのちが運営されていたんだと気づける。
この動きが発熱や痛みを生じさせていることが腑に落ちると
カラダの変動が起きたときに
しまった (>_<) → しめた (^^)/
に自分が変わってしまう。
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