民主主義ってなんだ。
沖縄に思いが向きはじめてから4年。
いや、5年かな?
『標的の村』という映画を京都で観てから、沖縄のこと、基地のこと、環境のこと、沖縄にすむ人たちのことに思いを馳せることが出来るようになった。
座り込む人々を強制的に移動させる警察。
灼熱の気温のなか、車の窓を閉めきって抵抗するひと。
自分たちだって給料が必要なんだ、家族がいるんだと説得する工事会社のひと。
5年前ですら、危機を感じた沖縄の基地問題。
今はもう、危機を感じるどころじゃない。
どうにかしたいけど、私はどうもできないでいる。
最近、めちゃめちゃ良い発信をしてる!すごくステキ!と思っているひとがいるんだけど、
その名も「せやろがいおじさん」
https://twitter.com/emorikousuke/status/1099441377887236096?s=19
言いたいこと言ってて、じぶんの思いを言葉にするということの必要性や大切さを教えてくれる。
じぶんのきもちを誰かに伝えるということは、もしかしたら、誰かのきもちも一緒に伝えているのかもしれない。知らないうちに誰かのきもちを代弁しているのかも。そして、知らないうちに誰かを勇気づけているのかもしれない。
弱さが強さに変わるきっかけだったりするんだろうな。
せやろがいおじさん、景色がきれいで癒されるし、私も声を大にして言いたいこと言ってくれてたりするので、結構すき。
みなさま、ぜひ、観てください。
まあ、とりあえずその話は置いておいて、
わたしたちの民主主義ってなんだ
うーーーん。まったく無知な私。
政治に関しては、まずは勉強しろよという感じではありますし、偉そうに語れることはなにもないですが、なんにしても、目の前で苦しんでいる人に対して、「あなたが我慢すれば、多くの人が救われる」なんて言わなければできないことは、やらなくていいことだと思う。
我慢を強いられるその人も、ひとりの民。ひとりの人間。
大学時代に行った、瀬戸内の豊島でも感じた、国のずるさ。ひとびとの苦しみ。
豊島に関してはこちら↓
http://www.teshima-school.jp/struggle/history/
何度も何度も、場所や対象を変えて繰り返される悲しみ。
沖縄県民は、声をあげた。
その結果も、みえた。
それなのに、変わらないのは、なぜ?
みんなの思いはどこへ消えたのか。
思いが消されることって、日常のなかにもたくさんある。
自分たちの事業に関して、子どもたちの意見を聞かせてほしい!といって、子どもたちを集めて意見を聞いたはいいが、なんにも反映されておらず、子どもたちの意見を聞きましたとだけアピールされたりとか。
なにがしたい?と聞いておいて、全然違う提案されたりとか。もはや、元から決まっていたりとか。
ないですか?
私はけっこうある。
少しずつ、あれ?いつのまに?おかしいぞ?が増えてきている気がしたら。
おかしいぞ!どういうことなんだ!
と、言う権利はみんなにある。
それは、政治にたいしてだけではなく、会社や学校や家族や恋人、友人、なにに対してだって同じ。
私たちには、意思を伝える権利がある。
いつだって、どこでだって、
嫌なことは嫌だ、自分はこう思うって伝えていいんです。
それが、自分を、自分の思いを大切にすることで、わたしたちの民主主義だと思うのです。
みんながそうやって自分や相手を大切にしあえたら、思いが消されるなんてこと、なくなるはず。
なんか、まとめる言葉が見つからないけど、まとめられる事柄でもない、というかまとめる気もないので、いいかな。
思ったことをつらつら並べました。
たくさんの人の思いがとどきますように。
いや、届くように動くしかない!
待ってるだけじゃ、祈っているだけじゃ、誰にも伝わらない。
ということで、『日々、おもいを伝える』を大事にやっていきたい。
まずは、ここから、この宣言から。
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