「初の女性棋士誕生ならず」から見る理系科目の男女差

棋士編入試験に挑戦していた西山女流三冠が、あと一勝というところで敗れ、残念ながら初の女性棋士誕生とはならなかった。

確か、今まででの棋士編入試験では女性は一勝すらできていなかったはずなので、そういう意味では新たな一歩を踏み出したと言える。

しかし同時に、理系科目の男女差というのも痛感せざるを得ない。

いまだに教育業界では理系科目に男女差はないと言っているようだが、男女差がないと言える根拠は今のところ存在せず、根拠としていることの多くが本質を理解せずに的外れな解釈となっている(もしくは利権のためにわざとそう言っている)。

そもそも、理系科目に男女差があってはいけないのだろうか?
スポーツ(身体能力)面では男女差があるのは誰もが認めるところだが、男女差が存在するのはそれだけとは限らないはずである。

そのひとつが理系科目になるのだが、ひたすらにそれを認めようとしないのは時間とお金を無駄にしているに過ぎない。そういう男女差があると認めることで、次にどうするかという正しい選択と対策を取ることができる。

話は将棋に戻るが、やはり、そういう理系科目の男女差の影響もあって、女性棋士誕生はなかなか実現しない。

将棋ソフトの進化によって、棋力の男女差が縮まってきたとはいえ、これはあくまで棋力差が縮まったのであり、理系科目の男女差そのものが縮まったわけではない。
そのため、対局において、数学的思考(将棋の本質は数学)が必要となる未知の局面に必ず突入する以上、どうしても女性が不利となり、いまだに女性棋士が誕生しないという結果になっている。

これだけでなく、女流棋士というシステムが存在することが女性棋士誕生をさらに難しくしている。

いわゆる「女子枠」というやつだ。

現状、仮に女性棋士が誕生(女流棋士の立場を捨てて棋士になることを前提とした場合)してもおそらく棋士の中では四・五段で勝ったり負けたりを繰り返すだけになるだろう(編入試験の成績がそれを示している)。しかし、その人が女流内で戦えば女流棋士のトップで、女流のタイトル戦の挑戦と棋士になるよりも多くの収入を得ることができる。さらに、女流のままでも、棋士のタイトル戦(もちろん予選からだが・・・)にも挑戦できる。

このような状況では女性が棋士になるのはリスクしか存在しない上に、男性レベルに追いつけ追い越せの状況が生まれにくくなる。

個人的には女性棋士の誕生は見たいが、果たしてどうなるだろうか。

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