【ドイツクリスマスマーケットへの旅④】約6時間の旅仲間のこと
ドーハから、いよいよフランクフルトに向かって飛び立つ。
成田からドーハへも窓際だったけれど、今度の座席も窓際。外の風景を見るのが好きな私は、わくわくと席に潜り込む。6時間飛んだら、ついにドイツだ。
ごそごそと荷物をまとめていると、私の隣の母の席の隣、通路側の席に、ヨーロッパ系の顔立ちの男性がやってきた。
彼は、ドーハ仕様なのか随分と軽装だった。荷物も少ないのだが、格好が明らかに冬のドイツ仕様ではない。飛行機に乗り込む時には汗をかくくらいの天候だったから、もしかするとドーハに合わせているのかもしれない。
では、ドイツに着いた途端にモコモコに着込むんだろうか、などと考えていると、彼と目があった。人懐こい感じのする人で、にこにこと挨拶をしてくれた。彼は、ドイツへの旅行者ではなく、ドイツ人でこれから母国に帰るところだという。
彼は約2か月、アジアを旅していたらしい。そんなに休みがあるのか、と驚いていると、さらに衝撃的な言葉が続いた。何と、バンコクで荷物のほとんどを盗まれたというのだ。
パスポートは何とか無事だったものの、靴までとられたのだという。だから彼は軽装で、サンダルだったのだ!
最初に抱いた違和感の、思いもかけない理由に、私は唖然とした。それはお気の毒ですね、と伝えたが、彼自身はあまり深刻に嘆いている感じはなく、まぁ、命があるしね、くらいに穏やかに笑っていた。
飛行機が飛び立ってからはあまり話すことはなく、静かに機内食を食べたり、うとうとしたりして過ごしていた。
けれど実際は、母が英語を解さないと分かって、遠慮していたらしい。母がお手洗いに立つと、ぽつぽつと会話が始まった。
ドイツではどこへ行くのか問われ、いくつかクリスマスマーケットに行こうと思っていて、と答えると、すかさず「どこの?」と尋ねられる。
フランクフルト、ケルン、ニュルンベルク、シュトゥットガルト……。私が順番に街の名前を列挙していると、彼が「ニュルンベルクはいいよ、最高だよ」と言った。
それは、ちょうどその前の週に出会ったドイツ人と全く同じ台詞だった。「ニュルンベルクはいい。最高だよ」。
ニュルンベルクというだけで、彼らの目の色が変わる感じさえする。一体何がそんなに彼らを惹きつけるのだろう。
母が席に戻り、会話は一度途切れたものの、今度は私がお手洗いに行こうと奥の席から出ようと頑張っていたら、彼は、すっと席を立ってくれた。
席を立たせてしまって申し訳ないと詫びると、「ずっと座っているから、ちょっと動けてむしろありがたいよ」と笑顔で返された。つくづく優しい人なのだな、と思った。
あっという間に、飛行機はフランクフルトに到着した。
上からドイツを見下ろした時もまだ、実感がわかなかった。眼下に広がる土地では、私が大学で4年間学んだドイツ語が話されている。ドイツ語の標識が立ち、教科書や映画で見た街が現実にそこにあるのだ……と想像しても、やっぱり嘘みたいだった。
でも、ドイツ人の彼の顔つきが、心なしか明るく見えた。故郷に着いた人間の顔をしている。そこでやっと、ドイツに来たことが現実味を帯びてきた。本当に、着いたのだ。
荷物が少ないので、飛行機がとまるとすぐに、彼は降りる準備を完了させた。荷物の多い私たちがもぞもぞしていると、彼は、いい旅でと言って去っていった。「いい旅で」の一言に、これほど気持ちがこもっている感じられたことはない。颯爽と降りていく彼の背中は、あっという間に人波に消えてしまった。
荷物を受け取ったりを済ませ、空港を出ると、白く冷たい空気が私たちを出迎えた。雪こそ降っていないものの、キンキンに冷えた風に、幼い頃に行った北海道を思い出した。空港内で私たちが纏っていたあたたかい空気は、あっという間に剥ぎ取られてしまう。
旅行会社の用意してくれていたバスに乗り込みながら、私の頭に約6時間の旅仲間のことがよぎった。サンダルの彼は、無事に家まで帰れるだろうか、と冷たい白い空を仰いで思わず案じた。