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言葉なしに心が通じること

初めての海外旅行であった韓国で、私は不思議な体験をしたことがあります。

海外旅行といっても学校のスタディツアーだったので、他にも10数人の学校の仲間たちと一緒に韓国に向かいました。中には韓国語が分かる子たちもいましたが、私は、やっとあいさつを覚えた程度。にも関わらず、リアルな文化を知るために、韓国の高校生の家にホームステイをすることになっていました。

韓国の高校に着くと、それまでメールで(英語で)やり取りしていたホストシスターたちと対面し、ぎこちなく挨拶を交わしました。意思疎通は、お互いに完璧ではない英語に、少しの日本語(韓国では第二外国語で日本語を選択している子も多いので、わりと通じます)、そして、さらに少しの韓国語。

いざホストシスターを前にしてやっと、「言葉が通じない」ことが私は少し怖くなりました。話したい気持ちはお互いにあっても、当時はスマートフォンも持っていなかったので、翻訳アプリに頼ることもできなかったのです。

けれど、次第に言葉ではなく、行動によって、その人の心が見えるような気がしてきました。ちょっと気にかけるような仕草、通じないなりに英語で一生懸命に話しかけてくれること、廊下ですれ違った時にニコニコと挨拶してくれたこと、遠くから手を振ってくれたこと……。

言葉には出さなくても、ホストシスターや彼女たちの高校の生徒さんたちの行動ひとつひとつに、優しい心が透けて見えるようでした。



言葉の通じないもどかしさとともに、「言葉が通じなくても何とかなる」ということも感じてきたころ、日本人の生徒とホストシスター5、6組で出かける機会がありました。

他の子のホストシスターと顔を合わせたのですが、その時、不思議なことが起こったのです。その子と私が他の人たちから置いて行かれてしまった時、少しだけ英語でお話ししたのですが、お互いにお互いのことが一気に分かったような気がしたのです。本当に、一瞬で意気投合することができたのです。

あんな心の繋がり方を、どう言葉で表現したらいいのか分かりません。そもそも、あまり言葉を交わしてはいないのですから!

でも、あの瞬間、私と彼女の間には何も隔てるものがありませんでした。生まれた環境も、育った環境も、話せる言語も、好きなことさえも、きっと違うでしょう。でも、それでも心が通じたと互いに分かったのです。相手も同じ気持ちだということが、私も彼女も、はっきりと分かっていました。もし、肉体をもつ前の魂だけの状態で誰かと話すことができたら、こんな感じなんだろうなと思いました。

ただ、この世に存在するもの同士で心を通わせることはできる。そう気がついた時の喜びは、今も鮮やかに胸に残っています。



それから10年近くが経ち、2023年に、私の兄が国際結婚しました。お相手は中国出身の方。

彼女のお母さんとのやり取りでも、「やっぱり、人間は心同士で繋がれる」と再認識することができました。

翻訳技術は年々あがり、言語の壁はますますなくなるでしょう。でも、たとえ言葉が通じない状況におかれたとしても、人間は人間同士、言葉なしに心を通わせることができるのだと知っていることに、私は言いようのない幸せを感じるのです。


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この作品は、アドベントエッセイです。クリスマスまでの24日間をワクワク過ごしてほしい、という思いから、「24年の人生で見つけた、24の幸せ」をテーマに毎日1本ずつエッセイを書いています。

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元町ひばり
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