ボランティアの私が、おもてなしされた話
高校2年の夏休みのことです。私は、ボランティアで東日本大震災の被災地に行っていました。
震災からは月日が経ったものの、まだ震災の爪痕が残っているのが分かる、そんな頃でした。(2016年だったかと思います)
私は、被災地の現状を直接確認したい、今も大変な思いをされている方がいるなら、ぜひ、力になりたい。そんな思いからボランティア活動を決心し、二日間だけ活動しました。
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一日目、私は数人のボランティアと一緒に、いちご農家さんのお手伝いをしに行きました。
いちごを育てたことがないので、手間取りながらも、他の人たちと和気あいあいと作業をしました。
お昼時になると、服や体についた泥を落とし……、気がつくと、いちご農家さんのご自宅にお邪魔していました。
ボランティアは私を含め、5人ほど。
そこそこの人数を当たり前のようにお家に上がらせてくださったのです。
それどころか、テーブルの上には、私たちボランティアの分の食事が……。親戚の家にでも来たのかと錯覚する光景でした。
持参していたお弁当もあるからと初めは遠慮していましたが、あまりに沢山の料理を目の前にして、「これを断る方が失礼だな……」という気持ちになり、他のボランティアの方たちと一緒に、お料理をいただきました。
しかし、「自分がしたこと以上のことを、させてしまっているのでは!?」と私は内心ヒヤヒヤしていました。
これでは、私がおもてなしされているかのようだったからです。
私は”何かするため”に来ていたはずなのに、これといって力になれていないばかりか、こんなに”してもらって”もいいのかーー。
食後、そのモヤモヤを他のボランティアさんに話すと、こんな答えが返ってきました。
はっとしました。
そんな風に考えたことはありませんでした。
目の前の人のために、何かしてあげたいという気持ち。
それは、ボランティアの私だけでなく、相手の心にもあるものだということに、気がついたのでした。
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二日目は、漁師さんのお手伝いをしに行きました。
広い屋外で漁に使うロープ(長くて重い!)の清掃を行ったのですが、これまた慣れない作業で、本当に猫の手程度のお手伝いしかできません。
そのうちに、雨が降ってきました。
おろおろする私たちに、漁師の方が「テントがある」と言って、作業場所を移動してくれました。
私たちが来ること、雨が降ることを見越して、前もって大きなテントを張ってくれていたのでした。
一瞬、「自分たちが来ることで仕事を増やしているのでは?」という考えがよぎったものの、昨日の言葉が、頭に浮かびました。
申し訳なさよりも、純粋に嬉しい気持ちが湧き上がってきました。
人間の原動力は、”目の前の人のために何かしたい”という思いなのだとはっきりと分かったからです。
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私は、ボランティアで、人間の本質を知ることができたように思います。
人間そのものとか、本質とか、そんなに単純じゃないのは分かっています。
でも、ボランティアの私がおもてなしされたこと。
それは、”人は、目の前の人のために何かしたいと思う生き物”であることの証明のような気がしたのです。