記憶に残したいのか、記録に残したいのか
久しぶりに、美術館に行ってきました。
お目当ては、この企画展。
会期が終盤に近いということもあり、展示室は多くの人で溢れていました。
しかし、人の多さより何より、そこで私が驚いたのは、カメラのシャッター音。
あちらからもこちらからも、ひっきりなしに写真を撮る音が聞こえてくるのです。
作品を撮ってもいいらしい(ダメなものには撮影禁止マークがついています)ということに気づいた後も、撮影している人たちが気になってなりません。
目の前に"本物"があるのに、なぜスマホ越しに見てばかりいるんだろう??
作品の楽しみ方は人それぞれなので、後で見返すために撮るというのもアリといえばアリなのでしょうが、何だか複雑な気持ちです。
私の近くで鑑賞していたお客さんが、「バシャッと撮って、はい次って。どうしちゃったの……」と呟いているのに、思わず小さくうなずいてしまいました。
そして、以前書いたこの記事のことを、ふっと思い出しました。
ここでは、旅先で"あえて写真を撮らないことの大切さ"に気づいたことについて、お話ししています。
けれど、今回、絵画を前にしてスマホを掲げる人を見て、旅先に限らず、私たちは目にするものを、本当に自分の目で見ているか? と改めて疑問に思ったのです。
美しく盛り付けられた料理。
可愛らしいスイーツ。
目を奪う景色。
綺麗な絵。
どれも、それを見ていられる時間は有限です。料理やスイーツは食べればなくなってしまうし、景色は時間とともに移ろい、同じ絵をいつまでも見ていることはできません。
けれど。
だからこそ。
自分の目で見た方が記憶に残るはずだと思うのです。
確かに、人間の記憶力はたかが知れています。でも、だからといってスマホやカメラにばかり記憶してもらうというのも……何だか寂しいなぁと感じてしまうのです。
そんなことを考えるのは時代遅れなのかしら、とも思うのですが(お客さんが写真をSNSにあげることで集客にも繋がりますし)、今回私が鑑賞した絵画は、どれも人の目を通して捉えた自然を描いているもの。
人間の観察力と画力で自然をとらえた、その成果ともいうべき、絵。
シャッター音をBGMにそんな絵たちを鑑賞しながら、自分の目で見ることについて考えてしまった、そんな時間でした。
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最後に、少しだけ。
写真を撮るのが悪い!……と言いたいわけではないということをお伝えさせてください。
私はもともと写真を撮るのが好きな方ですし、今回、数枚撮らせていただけたおかげで、家族に「こんなのも見れたんだよ~」って話せたからです。
ただ、他の人への配慮、自分の目で見ることの大切さについても忘れないでいただけたら、皆が気持ちよく楽しめて、個人の記憶にも強く残るんじゃないかな~と思った次第なのです。