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暇つぶしのような創作
やけに涼しい夕暮れに、嫌な記憶が頭に浮かんだ。
さよならと
告げたあの日の
温もりが
揺れる枝葉を
染め上げてゆく
幸福な思い出は、秋の公園の地面のように、掃いても掃いても落ち葉に覆いつくされる。
風が止むと、夏が戻ってきた。汗が額から噴き出てきた。
訪れた喫茶店は定休日であった。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
——フリードリヒ・ニーチェ
親知らずを抜いた。矯正歯科にてレントゲンを撮ると、横向きに生えていて、歯並びに悪影響が云々。深く埋まっているものをわざわざ掘り返した。麻酔が切れると痛い。とにかく痛い。ベッドで独り、悶えている。
昔は誰かが褒めてくれた。転んだあと、泣くのを我慢しているだけで立派ということになっていた。二十歳にもなると誰も褒めてはくれない。代わりに貰えたのは鎮痛剤と抗生物質で、呑んでも一向に効きはしない。
僕にできることはただ痛みに耐え、時々口内の粘り気のある血の塊をティッシュに吐き出すことだけである。枕元のゴミ箱に赤く滲んだ、丸い紙の山が出来上がっていく。枕に少し、血をつけてしまった。
誰も、褒めてはくれないんだろうな。いや、同じく抜歯をした人なら或いは。歯痛同盟。笑っちゃいけない。
痛みと腫れは一週間と少し続いた。
人生とは永遠に続く憂鬱との戦いなのだろうか。欲望を抑え、義務を果たすことが美徳ということになっている。そんな陰鬱な生活の中に、ささやかな楽しみを見出すことが理想的、道徳的な模範ということになっている。
一体誰が決めたのだろう。好きなことを好きなだけしてもよい。何も禁じられてはいない。このように言うと後ろ指を指されるのはどうしてだろう。みんな、憂鬱に馴らされている。忍従は別にえらくはないらしいのに。辛い人生、遊ぶことさえ命がけ。もっと遊べ。人生には怠惰など、あり得ない。
しかしこのように言いながら、僕自身どんな遊びも楽しく感じなくなっている。酒にギャンブル。くだらない。綺麗なものだけ見ていたい。
坂口安吾曰く、遊びとは退屈のシノニム。だから最後に暇つぶしのような文章を、僕にわずかに残された遊び心の追及を。
水溜りに月が映った。雨の降り終えた、空一面を高い雲が覆う灰色の夜にである。珍しいこともあるものだと思い見上げると、妙に高い街灯が僕を照らしていた。超常現象を容易に受け入れ得た自分の自棄に、やはり何も感じなかった。見上げた顔の鼻の先に、一粒の水の雫が触れた。