好きな小説「猫のお告げは樹の下で」の聖地に行ってみた
僕が好きな作家は青山美智子さんだ。
青山さんの本は心をすっと軽くしてくれる。
青山さんの作品はどれも同じ世界線で書かれていて、登場人物が、別な話や別な作品に登場したりする。(そういった連作短編集をオムニバス作品というのかな?)
そのことは僕に、この世界はそれぞれ人は色々な物語の上で存在しているが、この世界はそんな色んな物語が繋がってできている、僕もこの世界を創り上げている重要なピースだということを感じさせてくれる。
そんな青山美智子さんの小説の中に「猫のお告げは樹の下で」という作品がある。
僕の大好きなこの作品は、悩める主人公達がとある神社で猫のミクジとタラヨウの葉に書かれた言葉によって導かれ、抱えた悩みを解決していく温かいオムニバス作品だ。
タラヨウの葉はハガキの木とも呼ばれ、ひっかくと文字が残る。何十年も保存がきくし、切手を貼って郵送することもできる。
そんな大好きな作品に出てくるタラヨウの葉が欲しくて、僕はある日タラヨウの樹が植わっているお寺に向かった。
片想いしている人を誘って。
#1 2021年5月5日
そのお寺は山のふもとにあり、公共交通機関で行くには向いてない。あいにく僕は車を持ってなく、僕は車持ちのその子に連れて行ってもらった。
車内で二人。胸の鼓動はいつもよりはやくなる。車内には彼女が好きなビートルズが流れている。
ほのかに香る気まずさは一層僕の心臓を刺激した。仕事の話をしたり、彼女の車の話をしたりした。彼女は1996年製の古い車に乗っている。車も運転する彼女も渋くて最高にカッコよかった。車好きになったのは父親と元カレの影響らしい。聞きたくないことを聞いて、僕はまた知らない何かと自分を比べては失望した。
1時間くらい車を走らせるとお寺に着いた。僕のわがままに付き合わされた彼女はさほど興味は無さそうだ。
壮観なお寺の楼門を抜けるとすぐ、2本の大きなイチョウがそびえ立っていた。楼門の外から見るとくすみがかった古い木の色と、新緑の緑が見事なコントラストを成していて、そのパッと明るい緑と連動して僕の心もパッと明るくなった。そして門の下には好きな人が立っていた。紺色のワンピースを着て髪をひとつに結えている。お寺とイチョウと人が見事に調和していて、僕はしばらく見惚れていた。
タラヨウの樹はどうやらもう少し奥にあるらしい。矢印に向かって進むと、大きなタラヨウの樹が植っていた。人の手の届く葉っぱの裏にはやはり多くの人が文字を記している。
「お金持ちになりたい」
「サッカー選手になれますように」
「〇〇大学に受かりますように」
僕は「母の病気が治りますように」と誰かの切なる願いが記された葉っぱの隣に、自分の名前を書いた。もっと他に書くことがあったのではないかと後悔した。例えば「隣にいる人と付き合えますように」とか。
彼女の方はというと、葉っぱを一枚摘み、ヘアピンで何かを書いていた。見ると「山路を登りながら」と書いてある。夏目漱石の草枕の冒頭だが、聞くと画像編集ソフトウェアで文字入力の際に出てくるらしい。そういうことを書くところが僕との熱量の違いを表してるような気がして、自分もたいそうなことを書かなくてよかったと思った。
僕ら2人はタラヨウの葉を何枚か持ち帰った。帰りの車内で僕はこっそり「今日はありがとう」と書いた葉を忍ばせた。
彼女は案外楽しかったと言ってくれた。本心だといいなと心から思う。
僕は帰ってから、本当に書きたかったことを書いてやろうと思った。
しばらく考えてから、スピッツの日なたの窓に憧れての歌詞を書いた。
"君が世界だと気付いた日から"
次の日、タラヨウの葉はほとんどが茶色く変色した。書いた文字などほとんど見えなくなっている。
残っているのは寺に植わっているタラヨウの葉に記された僕の名前だけだ。
僕が好きな人とここに来たという証明とほのかな甘い記憶がここには漂っている。
#2 2022年5月25日
青山美智子さんのTwitterから、神奈川の戸塚駅近くの富塚八幡宮が「猫のお告げは樹の下で」のモデルになった神社だという情報を入手した。
タラヨウの樹はないらしいのだが、ミクジのような猫がいるらしい。今日は天気が良かったので行ってみることにした。初めての聖地巡礼といったやつだった。
僕の最寄駅から戸塚までは1時間ちょっとかかった。戸塚駅からは20分くらい歩いただろうか。
こじんまりとした富塚八幡宮に着いた。
街の中に急に現れた神社。鳥居をくぐるとタラヨウの代わりに大きなイチョウの樹が植っていた。
階段を上がって本殿へ。
お賽銭をして、参拝する。
「ますように、ますように、ように。ように。」
欲深い人間だ。次から次へと欲が出てくる。
「世界が平和でありますように」
ありきたりで、抽象的な嘘くさい願いが、今は心の底からの本望だった。
近くに竹で結わって造られたベンチがあった。小説の登場人物達はここに座ってミクジに出会ったのだろうか。僕も座ってみる。小説になぞるように、悩んでいることを頭に思い浮かべる。
孤独なんだよね。最近の悩みは孤独に感じることだ。来てくれよミクジ。さみしいんだよ。
ものの10秒、猫のミクジの代わりにやって来たのは何匹もの蚊だった。
蚊を払って、神社を一周してみたが、猫らしきものは一匹も現れなかった。
富塚八幡宮をあとにして、近隣の八坂神社に寄ってみた。そしたらなんと猫が二匹、談笑中だった。
かわいい。猫は穏やかで、気ままに生きていて、羨ましい。こんなこと猫に言ったら、きっと、「猫になったことにゃいくせに!」と爪を立てられるだろう。うん、やっぱり近く、猫と暮らしたいな。
小説やアニメ、漫画、映画に出てくる聖地は、意外にもきらびやかな場所ではなくて、どこにでもあるような日常的な場所だったりする。そんな日常を素敵に表現できるクリエイター達はやっぱり素敵だ。いや、もしかしたら日常が素敵だということを、多くの人間が見落としていて、気付いていないだけなのかもしれない。それに気付ける人と気付けない人の差は何なのだろう。僕は気付ける人でありたいと思った。
これからは色んな聖地を巡ってみたい。そして聖地をつくる勢いで生きていきたい。
※若干オムニバス作品みたいになった!
psタラヨウ一緒に見た人にこのnote見られませんように
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?