遠いキューバで出逢ったダニエルという男
2018年9月9日。
「空港まで見送らせてよ。僕たち友達だろ」
そう言ってダニエルはタクシーで空港まで見送ろうとした。もちろん運賃は僕が全額払うのだが、彼にとっては日本人である僕がお金を払うのは当然な態度だった。
僕は違和感を覚えた。友達ならお金を払わせないようにここで見送ればいいではないか。それに一人旅大学生にお金を払わせるなんて本当の友達ではない。僕の違和感は苛立ちに変わっていた。今思うとあのときの僕は器が小さかったのかもしれない。
ダニエルとの出逢いは実に運命的だった。
一人でキューバに乗り込んだ3日目の朝、僕は首都ハバナから世界遺産の街トリニダーに行く予定だった。
ハバナの路地を歩いていると、天から「コンニチハ!!」と日本語が聞こえてきた。あまりの寂しさと恐怖で母国が恋しいあまり聞こえてきた幻聴だと思った僕は恐る恐る天を見上げた。
そこには我が母国、日の丸の旗が風になびき、その隣で1人の白人キューバ青年が手を振っている。
「チョットマッテ!」「マッテ!」
彼はそれだけ言い姿を消した。きっと降りてくるのだろう。僕は待つしかなかった。
「日本人デスネ!私ハ日本人のトモダチに伝言がアリマス!どうかこれを渡してクダサイ!」
彼はそう言って1枚のメモを僕に渡した。彼の友達の名はアスチと言った。メモにはアスチの住所と電話番号、病気が心配ですと書いてあった。どうやらアスチは病気らしく、彼はアスチの身を心配している。
「わかった。僕はマサヒロです。よろしく。」
覚えたての拙いスペイン語で挨拶する。
「僕はダニエル。マサヒロ時間あるかい?よかったら家にあがって」
このときの僕は20歳。若さと無知は狂気だ。何も恐れることなく、見知らぬ土地キューバで見知らぬ男ダニエルの家にあがった。
彼の家はコロニアル様式の建物の3階にあり、彼は母と2人暮らしをしていた。今僕はディープなキューバを目の前にしているのだと思った。
ダニエルは27歳で清掃の仕事をしているらしい。裕福とは程遠い。社会主義国のキューバは等しく貧しいように思えた。僕にはダニエルが27歳には見えないくらい仕草や態度が幼く見えた。そして彼は日本語学校に通っているらしい。日本人である僕を心良く受け入れてくれたこと、日本の国旗が掲げられていたことの訳がわかった。
彼の日本語は本当にめちゃくちゃだった。語順がめちゃくちゃで、日本語での意思疎通は難しかった。キューバの公用語はスペイン語で、ダニエルは英語はまだ勉強中というところだった。見たところ僕の中学生程度の英語力とさほど変わりない。彼は常に日本語と英語の辞書を片手に持ち、伝えたいことがどうしても伝わらないと「チョットマッテ!!」とすぐに辞書を開き調べる。結局言いたいことはいつもよく分からないが、彼の真剣な眼差しを見ると、耳を傾けざるを得ない。
彼の部屋はナルトや孫悟空のステッカー、折り紙の鶴など、日本愛感じられるものがたくさんあって嬉しかった。僕は君の好きな日本から来たんだよ。そう心の中で僕は彼に自慢げに言っていたかもしれない。
部屋にダニエルと1人の日本人が写っている写真があった。
「これは?」
「これが友達のアスチだよ!」
アスチは僕よりもずっと歳上だった。見た目では60歳を超えているように思える。
「アスチが病気で心配なんだ。」
悲しそうな目でダニエルは言った。その目は大切な人を思う目だったから、ダニエルがアスチさんを慕っているのはよく分かった。
アスチさんも僕のようにキューバに旅をしたときに、ダニエルと出逢ったらしい。
「よかったら、僕の家に泊まっていくかい?」
キューバは旅行者用の民泊(民泊といってもホテルのように個室が用意されることが多い)が盛んなようで、ダニエルの家も民泊ができるようだが、この家のどこに個室を隠し持っているのだろう。
「今日はトリニダーに行って、明日ハバナに戻ってくるんだけど、明日泊まってもいい?」
実は明日の宿は決まっていない。僕は民泊制度を利用して完全に行き当たりばったりの旅をしていた。
「いいよ。また明日来て」
ダニエルはそう言って電話番号が書かれたメモを僕に渡した。
彼と別れた僕は無事にトリニダーに行き、世界遺産の街を満喫し、ハバナに帰った。
暗闇のハバナは昨日の街とはまるで違うようだった。僕は迷子になってダニエルに電話した。
なんとかダニエルの家に着いて、結局ダニエルの家に日本に帰るまで3日間泊めてもらうことになった。もちろんお金を払って。
案の定、彼の家に個室などなく、完全なるダニエル一家との共同生活が始まった。
お風呂はシャワーが完全に壊れていて、沸かしたバケツのお湯を体にかけるだけだ。食事も完全にダニエルとお母さんがつくった手料理でこれが僕には合わなかった。
ダニエルと街中に出かけてお酒を飲んだ日もあったが、このとき僕は昼間に食べた料理が体に合わなかったのか、お酒とともに路地裏で吐いた。日本でも吐いたことなかったのに、ダニエルの前で二回も吐いた。ダニエルは死ぬほど引いていた。申し訳なかった。
ダニエルは優しかったのだが、お金は全部自分持ちで、彼は何も遠慮しないし、なんなら母のためにこれを買ってくれと頼まれたり、母が編んだ物を買ってくれとせがまれた。
友情の中に、少し汚れた物が垣間見れて、僕は気付いたらダニエルを嫌がっていた。
最後は1人にして欲しいと伝えて、せっかくのキューバを満喫しようと思ったけど、あまりの疲労感と、ろくなものを食べていなかったので、ぐったりと広場のベンチで座ってしまっていた。現地の派手なおばあちゃんに、「疲れてるわね」と声をかけられるほどに僕は疲れ果てていた。
そして次の日ダニエルと共に空港へ向かう。タクシー代は僕が払うし、帰りのタクシー代も渡さなければならない。僕はイライラしながらタクシーに乗っていた。
「友達」ってダニエルにとって何なの?そんな疑問がずっと脳裏に浮かぶ。貧しいから、日本人が全部してあげるのは当然なの?僕らが対等な経済力だったら、もっと違ったの?
そんなことを思っても無駄だ。
ダニエルの家で彼と彼のお母さんと3人で写真を撮った。彼はその写真を本当に嬉しそうに見ていた。何よりも彼が今まで会ってきた日本人の友達を自慢気に話していることが、彼がいかに友達思いなのかを物語っている。アスチさんの身も心配しているし、僕が吐いて具合が悪くなった日も薬をくれた。
その年の1月1日。
この日ほどスマートフォンを見て目を疑った日はない。キューバのダニエルから電話がかかってきたのだ。
「ハッピーニューイヤーマサヒロ!!」
ダニエル、あの日別れ際、怒った態度でさよならしてごめん。
君はいかに友達と接点を持つかを最重要視しているんだよね。
君はキューバに住む唯一の友達だよ。また会える日まで。
いつか僕に美味しいごはんご馳走してくれよ。
元旦の寒空の下、あの日初めてダニエルに会ったときのように空を見上げる。「マサヒロ!」空からダニエルの声がする。今回はどうやら幻聴らしい。この広い空はキューバまで繋がっている。
遠い同じ空の下、友達が今日も生活している。