栗に感じる
今年はよく栗を剥いた。
記憶がないくらい久々に栗ご飯を作って、
これはなんて愛なんだと思った。
それくらい結構な時間と手間がかかる。
栗を前の晩から一晩水に浸して、40分茹でて、冷めるまで置いて、やっとその一つ一つを剥き始める。
栗の形はみな違って、“剥かれる”という行為の受け入れ方もそれぞれ違う。
剥かれるのを待っていたかのようにツルッと脱いでしまう子もいれば、ヤダヤダと渋皮を自分の身に食い込ませて抵抗するような子もいる。
一つ一つの栗と向き合い語らいながら自分と向き合い語らう。
この瞑想のようなプロセスがあまりに豊かで
栗ご飯作ろうと思わせてくれた人に
ありがとうと思う。
子供のとき結構食べた記憶があるってことはそんなに愛されてたんだな、とか
昔彼にセーター編んだのも
(迷惑だったろうが)あれも自分のためには絶対できないことをさせてもらってたんだな、とか
剥くほど心の芯があったかくなる。
もっと剥きたくなる。
そんなことを書こうと思っていたら、
先日参加した岩間朝子さんのワークショップの中でもみんなで栗を100個くらい剥く場面があった。
ワークショップのテーマはforaging.
餌という意味も、採る、獲る、奪い取るという意味もある。
「食べる」に至るためには本来育てたり探したり採取したり加工したり運んだり多くの時間と手間がかかるもの。それを少しでも実感する一コマとして栗を剥いた。
何かの命を頂くのにその時間も手間もかからない表面的な「食べる」が増えすぎてないか、とマーストリヒトに住む岩間さんは日本に帰ってくる度にその加速具合にびっくりされるらしい。
ご自身もアーティストである岩間さんは、世界的アーティスト、Olafur Eliassonのスタジオで10年間日々80名の料理を提供される中で静かな革命を実現してこられ、今も体現、発信され続けている。
その在り方はしなやかで朗らか。
食べるとは取り 頂き 取り入れる こと。
全ての工程を五感で味わうこと。
オランダでご家族と収穫されてきたハマナスの実のソースに
茨城で採ってこられたみんなで剥いた栗の生かし合う調和ぶりに嬉しくなる。
幸せと思いながら作った栗ご飯を
幸せと食べてくれる人がいる。
自分の身体に何を取り入れたいか。
何と一体でありたいか。
何を感じて生きていたいか。
何者でありたいか。
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