自分の中で大切なことがちゃんとわかる生き方 #自分ごと化対談(石坂産業株式会社 代表取締役 石坂典子氏)≪Chapter4,5≫
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「廃棄物は社会を映す鏡」~誰もが自分ごとにするには~】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
若手スタッフから教えられたこと
<石坂>
新卒でコンサルタント会社に入って、2年で退職してうちの会社に入ってきた子がいたんです。彼女は朝早く起きて電車に乗り、地下鉄を通って会社に入ると、事務所がたまたま地下フロアだったらしいんです。そうするとほぼ1日、日中の光を見ることなく、夕陽も眺めることもなく1日が終わることが多い。
ランチで外に出てはじめて、陽の光を感じて、今日はこんな天気になっているんだと気づく。それを2年間やって心がおかしくなったと、それで「自然環境の会社で働きたいと思って」と言って、うちに来たんです。
彼女は環境教育の活動を5年して、最終的には結婚して屋久島に移住、退職することになったんです。彼女は「人間らしさってなんだろうって、あらためて深く考える機会になったんですよね」って言っていて、そのことをあえて考えない人もいると思うんです。
お給料をもらうために、毎日働かなきゃいけないと。だから自分の価値観とか、自分の幸せって何だろうって、あらためて気づく機会って、なかなかないかなと思うんです。だけど、たまたま彼女が2年間の通勤電車の中で、「私の人生にとって本当にこれで満足なんだろうかとあらためて考えたら、こうじゃないと思った」うちの会社に入ってもっと環境に触れあいたい、彼女はそれが、自分のやってみたいことだって言ってうちに来たんです。
そして5年間いろんな環境体験をして、屋久島に行って、「あそこが移住には最高です」と行ってしまったんですけど、なんか素敵だなって思いました。そういう自分が本当にやりたいことが明確に見いだせていること、自分の中で大切なことや、ものという感覚をちゃんとわかって生きるっていう事が、最終的にすごく大事なんだなって思いました。
入社する若手のスタッフから影響されることが私自身多いんです。カザフスタンからインターンで来た子が、すごく頭のいい子で、是非この会社で働いて欲しいと話したら、彼女は即答で断ったんです。
「社長、私は国に帰って、教育の仕事がしたいんです」「日本とかからの支援で、例えばゴミ箱を街中に設置してもらっても、私たちは10m先のゴミ箱にゴミを捨てることが出来ないんです」って彼女言うんですよ。
なぜならば、教育を受けたことが無いと、今までは水を汲みに行って水を飲んだり、お乳を搾って飲んでたりをしていたんだけど、急速な発展でペットボトルとかがどんどん入ってきて、飲み終わるとその辺にポイっと捨ててしまう、それがいけないことだと言われたことがない。
だから街中はどんどん悪化して、ゴミだらけになっていく。それを変えるためにまずは教育を変えていきたいから、私は国に帰ります。と言ったときに、結局環境問題とかの感覚って、学校教育とか、家庭とか、そういったところからものすごく影響を受けているんだなって、あらためて思う機会だったんです。
加藤さんも小さい頃に、お父様と自然体験活動をされて、生活されてきたから、何となくザラザラな感覚っていうものを失いたくないという気持ちを持たれていて、その価値の高さっていうのもわかってらっしゃる。
今の社会を客観的に見た時に、ツルツルな社会がある一方で、ザラザラした社会を見た時に、我々にとって何が大切なのかということを問われてるんじゃないかなっていう風に思っています。
ツルツル社会もザラザラ社会もそれぞれ選択肢だとは思うんですけど、私自身は全てにおいて、ザラザラしたものに美しさを感じるので、そういう部分で言うと、今働いているスタッフにザラザラをちょっと押しつけ気味なところもあったりするんです。(笑)
<加藤>
ツルツル社会というのは、僕は受け身じゃないかと思うんです。
受け身だから楽なんですよね。ザラザラは、こっちから出て行かないといけない。だからしんどい、だけれども面白いんじゃないかなっていう感じがしますけどね。
<石坂>
さっき、「面白いということを感じることさえ考えない」というようなお話あったじゃないですか。いつしか、考えなくても楽な社会になってしまった、というのもありますかね。
<加藤>
ありますね。たぶん私含めてみんな、毎日朝から晩まで色んなこと考えてるつもりなんですよ。しかしそれは言われたことを、どうするかというレベルで考えている、ということです。そもそもこれって何なんだというレベルでは考えてはいないんじゃないかと思うんです。
だから受け身になって、やれと言われたことだけをやる。自分の中でタイミングや時間配分を判断して、試行錯誤の上で実際にやってみる。やってみたら10分で出来るかもと思ったことが、実際は一時間以上かかってしまった、というような経験をするところまで、いかないんじゃないかと思うんです。
受け身でやってると楽なんですけど、楽しくないんだと思います。やること自体がツルツル化しているんじゃないかと思うんです。たくさん考えて失敗したりしながらでもできると面白くなるし、もっとこうやればいいかなって楽しくなる、ということじゃないかと思います。
<石坂>
ツルツルなボールから、どうやってみんなでスピンアウトしていくか、自分らしく外に出て行くかという選択の幅は本当に広がっていると思います。情報も多様化している中で、自分でキチっと選ぶ力を持つ事っていうのが、本当に大切だなってあらためて思ったりします。
あと、惰性で生きることほどつまらないものはないなって、いうのが私の気持ちです。
<加藤>
しかし世の中のほとんどの人は惰性で生きてるほうがやっぱり楽なんですよね。そう言いながら、実は自分もそうかなぁとは思ってるんです。
周りは違うことを言うかもしれないですけど…。同じことやっている方が、ある意味では楽なんですよね。楽だけども、まあ、つまらない、だからそういう意味で、閉塞感というのもあるのかもしれないですね。
さっきの話に戻るんですけど、構想日本のYouTubeで「どちて雑談」というのをやっているんです。
谷野栄治さんというクリエイターと話していて面白いなあと思ったのは、「我々は、色んなことについて被害者意識は持つんだけど、加害者意識っていうのほとんど持ってない」と言うんですよ。
地球温暖化も元を正せば自分ごとで、自分が関わっている部分は0.00何%かもしれないけども、そういう感覚を持って自分ごとにすれば、加害者意識の感覚ができるんじゃないかと話していて、その考え方は面白いなと思ったんです。
私もそれを感じるのは原発なんです。福島原発で汚染水とか、一応処理した水がタンクに山のようにあるわけです。
10年間経ってようやく自分たちが獲って来た魚を少しは食べてくれる人がいる。ところが流したら、また買わない食べない。だけれども、その魚を食べないと言ってる人たちは、福島原発の電気を使って、生活をしてきた東京の人なんです。
ですから、この人たちは被害者である前に、あえて言えば加害者なんです。ですから私は前から思ってるのは、神様がいてね、福島の原発周辺のすごい汚染された物質とかを、全部こう掬って日本中というよりは東京の近辺にぱらぱらって撒いたら一番フェアだと思うんです。
だから、さっきのみんながちょっとずつ加害者意識というのはそこなんです。
だけれども、ただ単に「お前は加害者だろう」と言ってもやっぱり駄目で、さっきの海の下に居ちゃダメで、陸に持ってこないといけない。
自分ごとにする機会、場の大切さ
<石坂>
福島の農家の方が遊びに来られたときに、商品を出荷しようと思ってトラックで走っただけで福島ナンバーだと帰れって言われると話していたんです。なんて切ないんだろうって、思いました。そういう人がいることが残念でならない。
これだけ豊かな生活で、電気を好きなだけ使いながら、それでいて、そういった影響を受けた人達に対して「帰れ」という言葉が出るというのは、ちょっと異常だなって、あらためて思ったんです。
けど、本当に自分のことのように思える感覚を持つって、なかなかその機会に恵まれないと、ないのかもしれないですね。私たちの会社は、ダイオキシン問題があって、ものすごく地域からバッシングされた時に、あらためて自分たちって何なんだろうって考える機会がありました。
この事業を通して社会をどうしていきたいんだろうとか、そういう原点の存在価値そのものを振り返って見るような機会があったので、我々はこういうスタンスで、こういうビジネスをしていこうということを考える機会がありました。
多分何もかもが順調で、日常生活になんら支障がないことをやっていると、周りで問題が起きても、関心が持てなかったり、自分ごとにしようと言っても、やっぱり、そうした気持ちを持ちきれないんだと思うんです。ツルツルが日常化しすぎていて考えられないというか、考える機会すら失ってしまっているのかなって思ったりするんです。
自分ごとにして物事を考えていこうと思っていても、いざとなると知らないことに興味を持てなかったりすると思います。
今回対談というかたちで、私たちの業界のことを知っていただいて、今度こういう廃棄物処理の現場を見てみようかなとか、もう少し世界のゴミがどうなっているか、ちょっと見に行ってみようかなという風に繋がっていくと良いなあと思います。
今後、自分ごとにする機会っていうのがもっとさらに必要になっていくなって思っています。
<加藤>
極論を言えば、煮炊きしたり、暖かくするために火を焚けばCO2は増えるわけです。ある一定の密閉空間で、ものを燃やして一切空気の交換をしなければ、その中でCO2が濃くなって最後は自分が死にます、となればどうにかしようと思うわけです。
ゴミだって、自分の中で全部処理しようと思ったら考えるわけです。それが外に出して、出したらその先は分からない、知らないと言って、済むのかということなんです。そこを自分ごとにするにはどうするのか、単にモノの循環という以上に、自分の行動様式を理解して、キツク言えば痛みも一緒に感じる、ということなんでしょう。
そういう意味では、構想日本がやっている自分ごと化会議というのは、行政なんかに全く関心ない、ゴミの問題も介護のことも全く関心ないという人でも、自分ごと化会議でやり取りすると、本当に関心を持ってくれるんです。
例えば、そこに参加した若い人が、公務員になるなんて考えたこともなかったけど公務員考えてみようかなとか、お父さんぐらいの年齢の人なら、まずはPTAの会長やってみるかとか、なるんですよ。
石坂さんもここで環境教育をされて、その「場と機会」を与え続ける、作り続けるというのは大事だと思います。
我々も自分ごと化会議というのは場と機会を与え続けることだと思うんです。
<石坂>
我々がやれる事は本当に小さいなと思いつつも、この里山の保全活動で、必ず来られる方達にはお金を落としていただいて、保全費という入村費用をいただくんですね。この費用は、森の維持活動に使いますよという、収支報告書とかも出したりします。
必ず来られる方達に冊子を最初に入り口で買っていただいて、なぜこの活動をしているかを読んで、読みたくない人は帰っちゃうんですよ。そもそも入村料を取られるって聞いた瞬間に帰られる方もいらっしゃって、でもそれでも良いと思っているんです。
まずは入村料によってこの場が維持されているっていう事を共に考える機会ですし、冊子を買うことで私たちが目指してるものを共有していただくことも、ある意味ごり押しかもしれないんだけど、それによって保たれる場になるってことも共感の1つのスタートラインだと思っています。
怒られてもゴミ箱を置かない、ゴミは必ず持ち帰る、これもやっぱりクレームになったりするんですよ。遊びに来て何故ここにはゴミ箱ないのと聞かれる。でもそれが自分が持ち込んだゴミについてあらためて考えるいい機会になると思うんです。
あるとき、亡くなられた木内みどりさんが来られて、「私、トイレに入ってビックリしたのよ。だって今までトイレに行って、汚物入れがない会社には出あったことが無い。必ずサニタリーボックスっていうのがあるのに、ここの会社はそれを持ち帰れって書いてある。」と、「それって原点だよね」って、彼女は言ってくれたんです。
「自分で出してる自分の体のものなんだから、自分から出たものが汚いと思わない人が自分で片づけるのが責任であって、それを置いて帰って誰かに任せて、汚物として処理してもらうっていう事自体が、なんか違ってたかもしれない」そういう風に言ってくださったんです。
それって、そのあとから来られた方達へのメッセージとして、ものすごく影響があったんですよ。
だから加藤さんのように多くの人たちと関係性を持っている方が、きっかけとなって、「我々のような活動を知ってもらうことで、過剰梱包に対する意識を変えていくとか…。ペットボトルではなくてマイカップを使うとかマイボトルを持つ、こんなことでも、一日一、二杯コーヒーを飲めばそれだけのカップをゴミ箱に捨てているわけで、それが年間に直すと大量な資源の消費に繋がっていくわけです。
私たちの活動は決して順調ではなくて、本当に反対されたり、あそこの会社は森を使って金儲けしているんだろうみたいなことを言われたりすることがあるんです。けれど、やっぱり本当に里山や森を維持管理するには、数千万円のおカネがかかる。森ひとつ管理していくにも、ボランティアでやってくれる人がたくさん居るわけじゃない。
こういうご時世にアルバイトではなく社員の人たちが適正なお給料で働いて、ひとつの森を管理してくために、その負担を我々が出していく。
お値段の問題っていうのは、ちょっと見直していかないと、と思います。物価が高いのは問題ですが、それに見合うだけの交換価値の評価を得て、年収をとるという、ペイと取得のバランスが取れていればいいと思うんです。我々も安いものを買い続けることで、与えている社会への影響というのは、見えないところで、大きなものがあるということも考えます。
無駄に買わないということも1つ、廃棄物を増やさないっていう選択肢になるんじゃないかなと思うので、そんなことが伝わっていくと良いなって思ったりもします。
<加藤>
エッセンシャルワーカーとか言いながら、そこの給料が一番低いというのは、エッセンシャル(極めて必要)なら高くていいはずでしょう。そういう理不尽さというのは本当にありますね。
石坂典子氏が考える“ひとの幸せ”とは
<加藤>
最後に、石坂さんにとって幸せとは何か。
ごく簡単に言っていただくと、どういうような感じでしょうか。
<石坂>
私自身仕事とプライベートの時間的バランスっていうのは、だいぶ仕事にとられているんですよね。でも端的に言うと、不便なことを時間かけて楽しむことに幸せを感じているなって、すごく思うので、手間のかかることに手間かけて時間を過ごすことが好き。
<加藤>
じゃあ、ザラザラそのものですね。
<石坂>
そうなんですよ。だから、ザラザラそのものです。そういう幸せ的価値観を持っているっていう人だってことですね。
<加藤>
今日はどうもありがとうございました。とても、楽しい時間でした。
<石坂>
私も楽しませていただきました。ありがとうございました。
ザラザラ生活はクリエイティブ
<加藤>
今日の一言は「ザラザラ生活はクリエイティブ」です。少し説明をすると、ツルツル生活ってとっても便利で快適なんです。
ただこれは、スイッチを入れたらエアコンが入ってとか、受け身だと思うんですね。
世の中とっても便利になって、その中で生きている。
とっても便利。
だけども、ザラザラ生活というのは、自分で色々工夫をしないといけない、苦労もしないといけない、色々自分で作ったりしないといけない、面倒くさい。
だけども、そこに色んな楽しさがあったり、あるいは、クリエイティビティというのがあったり、ということだと思います。この本の中にも上山町に移住した若い女性のことを書いてます。
東京であれば、仕事が終わったら、あとで今日何食べに行こう、パスタにしようか、どうしようか、ところが田舎に行って宿舎に帰ったら、近所のおばさんたちからいっぱい戸口の前に野菜を置いてある。キャベツやら、大根やら、ニンジンやら、そうすると今日はこれ使って、何作ろうかなあ、すごいクリエイティブになるっていうお話がありました。私はこれはすごく良い言葉だなあと思っています。
というのが今日の言葉です。
今日の石坂さんの話の中でも、こういうことが随所に出てきています。