怒りに学ぶ #自分ごと化対談(プロ登山家 竹内洋岳氏)≪Chapter2≫
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【政治とリアリティ「下山の哲学」に学ぶいま、日本に必要なこと】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
ガッシャブルム二峰 危険を見抜けなかった自分への怒り
<加藤>
竹内さんの本を読んでいると気が付くのは、よく怒っていますね。
<竹内>
そうなんですよ。
<加藤>
竹内さんは本当に温厚な方で、普段怒っている場面に出くわしたことがないですけど、山では結構、怒っている。死にそうな時に怒っている。次の瞬間死ぬかもしれない時に、凄い腹が立ったと本では書いてありましたが。
<竹内>
あれが、一番怒っていました。あれを超える怒りは、そこまでないです。あれを超えた時にどうなるんだろうと、自分でも怖いくらい怒っていたのを覚えています。
それは、ガッシャブルムで雪崩に巻き込まれた時に感じた怒り。誰かに怒っているわけではなくて、自分に対して、自分が危険性を見抜けなかったことに対しての怒というのが、落ちてって、これから死んでいくだろうという時に、ものすごく湧き上がってきたんですね。いまでもあれ思い出すと腹が立つんですよね。
翌年もう一度その山に登り直すんですけど、もしかしたら自分で分析しきれなかった、判断しきれなかった危険性というのをもう一回行ったら見抜けるんじゃないか、思い起こせるんじゃないかと思って行ってみたけれど、やはりそれはわからない。
危険性が見抜けずに、自分はそこが安全だと思って立ち入ってしまったことへの後悔でもあるし、悔やみでもあるし、そしてそれは自分に対する怒り、あのときが一番強かったですね。
<加藤>
怒りって何なんですかね。例えば、何か食べていて自分の頬とか舌を噛むことがある。あれにはものすごく怒が湧いてきますよね。誰に対してでもなく、自分ですよね。それと同じというとレベルが違うんですけど、何なんでしょうね。
<竹内>
怒りって色んなものがあると思います。人に対する怒りだったり、自分に対する怒りだったり。その中で、誰に、何に怒っていいのかわからない怒りがありますが、もしかすると、はっきりしないときに一番腹が立つのかもしれない。
例えば、誰かに何かされたことに対しての怒りとか、自分がどこかに体をぶつけた怒りとかは、怒りの対象、原因がわかりますけど、誰に怒っていいのかわからない、何が起こっているのかわからない時は、一番腹が立つものなんですよ。解決方法を見出していけないからこそ、腹が立つんでしょうね。
今回の新型コロナウィルスも、なんで私達がこう腹が立つかっていうと、相手が見えないからでしょうね。他人のせいにもできないし、自分も悪くない。目に見えないウィルスに怒って、なんとかしろというわけにもいかないだろうし。
そうすると、若い人たちの怒りも湧き上がってくるんでしょうね。
世の中に対して怒らない日本の社会
<加藤>
怒りついでにいうと、日本人というのは世の中に対する怒りというのを本当に、持たないなあと…。
私はトランプというのは、世界の大統領の中でももっとも悪い中の一人だと思っています。日本のメディアもトランプを選んだアメリカ人は愚かだと書いていましたが、それは違うと私は思います。
日本の為政者はトランプのように派手ではないが、国や国民にとってろくでもないことをやってきているわけです。
例えば日本国の借金というのは圧倒的に世界一です。他にもいろんな問題がある。コロナだってそうですが、それに対して日本人は、割合怒らない。一方、アメリカ人のトランプに投票した人は怒っている。社会に対して怒っている。政治家に対して怒っている。
日本人はもっと怒るべきなのに、怒ってもない。あえてこういう言い方をすると、ヘラヘラしている。これは何故なんだと、私は怒っているんです。