“人の幸せ”とは#自分ごと化対談(生命誌研究者 中村桂子氏)≪Chapter6≫
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「命」か「経済」か?コロナ禍で顕在化した社会問題を『生き物としての人間』の観点で議論する】(https://youtu.be/5cEd33Vbp0I)について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
中村桂子氏が考える“人の幸せ”とは「今が好き」
<加藤>
今までの話の中にもいっぱいあるんでしょうけれども、中村さんが考える「人の幸せ」とは、どういうものでしょうか。
<中村>
私、本当にのほほんとした人間で、難しいことは苦手ですし、深く考えることをする人でもなく、毎日のんびり生きてる。私は本当に「生きてること」が幸せですね。一番好きなのは「今」なんです。
私、ものすごく忘れっぽい人なので、認知症にはならないと言ってるんです。元々忘れっぽいから区別がつかない。昔のことを思い出したり、将来こうなりたいと思ったりするよりは、今を考え、今あることを楽しむのが得意でこの年まで生きてきた。ずっと、それやってきたと思うんです。
だから歳を取って、おそらく客観的に見たら、できないことが増えているはずなんですけれども、主観的にはできてるつもりなんです。多分いろんなことができなくなっているはずなんだけども…、例えば20代も、60代も今も、気持ちとしては同じなんです。だから、出来なくなったとか、そういうことをほとんど思わないで、今が一番面白い。
<加藤>
それは昔からですか。
<中村>
そうです。子どもの時から。だからよく訊かれるのが、「大人になったら何になりたいと思いましたか」って言われるんですけど、考えたことがない。特に女の子だったから、昔は女の子にあんまり聞いてくれないということもあったのかもしれませんけど、聞かれるとすごく困るんですよ。
大人になって何になりたいと思わず、その時を楽しんでいました。それから今、昔はああだったなと思ったこともない。今が好きなんです。
<加藤>
それ、ほとんど悟りの境地ですね。
<中村>
そうですか?
<加藤>
そうですよ。
<中村>
だって、今って面白いじゃない。
<加藤>
私もどっちかというとそうなんですけれど、禅でよく「今ここ」って言いますよね。ほとんどの人は、「今ここ」に集中できないんですね。だから、禅宗のお坊さんっていうのは、みんな同じものを着て、みんな同じ事をして、毎日同じことをして、選択肢はなくて、掃除であれば、とにかく掃除に集中する。
<中村>
私、庭掃除が大好きです。
<加藤>
そうですか(笑)。生まれながらに半分悟ってる。
<中村>
完璧に何かを終わるってことは、ほとんど無いでしょ。ところがお掃除だと、ここやろうって決めたら、全部きれいになるでしょ。これで終わりってなかなかないけれど、ここって決めたら、そこを徹底的に綺麗にすることはできますでしょ。そうすると達成感。だから庭掃除が大好きなんです。しかもその掃除の仕方が、若い頃はもう本当に徹底してやったんですね。だけど今は、完璧でなくても、これで綺麗と思えるんですよ。だから、出来なくなったとかあんまり思わないで、出来てしまう。なんか、そういう生き方をしてると思うんです。
客観的に見たら、できないことはあるはずなんだけど、主観的にはないんです。今できることがあれば、それでいい。それはなんかね、昔のことはみんな忘れちゃうし、未来のことはちゃんと考えないし、変な人かもしれないんですけど、本人としては、それは幸せに生きているなあって…。
生き物に「標準」はない、「人として存在する」という保証
<加藤>
その本にも書いたんですけども、「認知症」とか言葉をつけすぎなんですよね、ネーミングを。なんか体が動かなくなったとか、ちょっとボケてきたとかいうと、しょうがないと思うんですけれども。認知症という名前がつくと、どうにかしないといけないものになるんだと思うんですね。
<中村>
今ね、発達障害というのがあるでしょ。家で話してるとね、みんな子どものころ落ち着きがなくて、ちょろちょろしてたのばっかりなんですよ。今だったらうちの人、全員発達障害って言われちゃうねって。なんかね、落ち着いてやってるよりは、チョロチョロする方が好きな子供だったって、自分のことを家のみんなが、自分でそう思ってる。もし今だったら、この家の人みんな発達障害だねって。
<加藤>
なんかね基準、「標準」を作るんですよね。前に生き物に標準はないと仰っていて、標準を作ったのは機械の発想だと。そういうのが、どんどんそういう方向に行ってるのかもしれないですね。
<中村>
生き物ってどこにも「標準」ないですよ。77億人の誰が標準ですかって言われたって、困るじゃないですか。どこにも標準はない。ヒトゲノムを最初に読むときに、誰のを読むかっていうのがすごい問題になったんです。
結論は、誰のを読んでもいいってことになったんです。
<加藤>
それはどれも違うし、どれも大した差がない?
<中村>
どれも違うし、どれも同じだし、どれもヒトゲノムなんです。ヒトゲノムじゃないのは、どこにもないわけでしょ。77億人全部ヒトゲノムだけど、みんな違う。じゃあ、どれが「標準」で、あなたは外れてる?それはないです。結局誰のを読んでもいいということになって、具体的にはいろんな国の人のを混ぜてやりましたけれど。
<加藤>
その違いというのは、大した違いではない?
<中村>
違いじゃない。例えば、イギリス人でゲノムを調べると正規分布します、日本人でも正規分布します。そうしたら、「イギリス」、「日本」ってならない。中国、インド、みんな全部同じところで正規分布しますから、みんな同じ。だから誰をやってもいいし、どこの国の人をやってもいい。どこが正しいとか、そんなこともない。
<加藤>
さっきの発達障害だとか身体障害、知的障害とか色々ありますけれど、それも正規分布の中に入っているということですか。
<中村>
入っている。ということは、「産まれて来る」ことは凄いこと。受精しますよね。その卵が本当に「体」として産まれてくるところまでの間に、消えてる数の方が多いんですよ。産まれて来られない、着床をまずできない卵がありますでしょ。着床しても育たない卵がありますでしょ。着床してあるところまで行っても、そこで消えてしまうものもありますでしょ。だから、この体、脳があって手があって指があって、こういう形で産まれて来るっていうことは、その障壁を全部通過したということなんです。
人としてうまく生きられないということがはっきりしたら、そこで消えるんです。ですから、少なくとも生物学をやってる人間としては、それを全部超えて産まれてきたということが、「人として存在する」という保証をされてること。
例えばダウン症とか、色々染色体の異常がありますけど、染色体がもっと変になってることがあって、それは産まれられない。ダウン症の場合、21番染色体のトリソミーは人間として生きなさいと、産まれてきてる。人ってそういうもので、77億人そうで、だから自動車の工場とは違う。自動車の工場なら、出ていく製品は一律ですけれど…。
人間の場合は、多様な方を進んでいるわけです。
<加藤>
そういう意味では、産まれる前の診断で障害があったら中絶をするっていうのは、あれはある意味では生命を否定してる。
<中村>
そうですね。難しいですね。段々だんだん難しい問題がいっぱい出てくる。
<加藤>
ヘタにわかるようになってしまったから、出てきた問題ですよね。(終)
編者注
1,正規分布(ベルカーブ)とは
確率論や統計学で用いられる連続的な変数に関する確率分布の一つ。データが平均値の付近に集積するような分布を表す。左右対称の形をしており「ベル型の分布」と比喩される。
2,トリソミーとは
染色体数の異常。トリソミーとは何番目かの染色体が1本多い状態で生まれてくること。
2個あるべき相同染色体が一つしかないモノソミーmonosomy、3個になるものをトリソミーtrisomyという。
過去の自分ごと化対談はこちら
・第一弾 JT生命誌研究館名誉館長・中村桂子氏
・第二弾 プロ登山家・竹内洋岳氏
・第三弾 小説家・平野啓一郎氏
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