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#習作 彼女の顔はきれい(約1900文字)

★重要★
あくまでも創作(Sukoshi Fushigi)です。
コロナウイルスに関する正確な情報は厚労省等のページをご参照ください。

1 彼女の顔はきれい

さっき夢から醒めたのだけれど、夢の内容なんてほとんど覚えていなくて、夢の続きさえも見たいとは思わなくて、それでも、肌寒くなってきた10月だというのにシーツが寝汗で少し湿っていたのだから、たぶん悪夢を見ていたのだと思う。わずかに覚えていることといえば、私が綺麗な車を盗もうとして、入るはずもない鍵穴に、高校を卒業する昨年まで居た私の実家の鍵を差し込んだら、偶然にも開いてしまったこと。いざ開けてみるとそれが私の車だったこと。そんな夢だったのだと思う。

時計を見るとちょうど午前4時を過ぎたところだった。
寝汗のせいかは知らないけれど、夏場にマスクをしているときのように、たまらなく喉が乾いていた。
冷蔵庫から、パック牛乳を取り出してそのまま飲み込んだ。
飲み込んだ瞬間、牛乳は私の食道を上から下へと、苦手だった物理の原理なのかは知らないけれど、自然に流れていった。その冷たさをひしひしと感じる。血液の流れはまるで感じることはないんだけれど、牛乳だけは、きちんと感じられた。

京都の大学に来て1年が経ったけれど、いまも慣れない。
冷たい牛乳よりはいくぶんか、私の身体が暖かいことだけはわかった。
牛乳を冷蔵庫に戻したとき、冷蔵庫の上にアイシャドーなどと一緒になって乱雑に置いてある一箱のマスクを開けてみた。
まだ、もう少し余裕はありそうだ。


一昨年、アメリカとWHOがほぼ同時に、コロナ禍の終焉を宣言した。
アメリカ大統領が高らかに宣言した「インディペンデンスデイ」との単語は、しばらく日本でも流行った。
それでも、やっぱり週に一度か二度は、
「全国で合計4名のコロナ患者が確認されました」
といったニュースが天気予報の後に十数秒だけ流れるものだから、ほんとうの終わりは、まだまだ先なのかもしれない。

日本政府も、アメリカやWHOが発表したしばらく後で、
「マスクはした方がいいけれども、ワクチン接種、陰性証明書、疾患との関係でマスクを付けられない人等はマスクをしなくてもいい」
とアナウンスした。
総理大臣がマスクを外すパフォーマンスをしている傍らで、新型コロナ対策分科会の会長はそれでもマスクをしていた。二人の間には、透明なパーティションが敷かれている。ネットニュースは、面白おかしく2人を対比した。多様性に配慮した結果だという好意的な意見が多かったし、私もそう思った。

御池通りを歩くと、4、5人に1人はマスクをしている。
この前の電話で、お父さんは、
「完全に終息したのではないから、まだマスクをした方がいい」
とアドバイスをくれた。


私は美容室を頻繁に変える。
クーポンにつられるんだけれど、もう一つ理由があるとすると、洗髪時にマスクを外さないといけないから。
今日、初めて来た美容室で、美容師の男性は、マスクを付けたまま雑誌を見ていた私に、「やはり、まだまだ危ないですからね」と言った。昨日行ったスーパーの店員さんの「いらっしゃいませ」との挨拶と同じ抑揚だった。

私が関東ではなくて、京都の大学を選んだのは、高校ではじめて出会って、クラス替えでも3年間、ずっと一緒になっていた彼女と離れるためだった。
彼女は、アメリカがコロナ禍の終息を宣言した次の日、いちはやくマスクをはずして、登校してきた。まだ、学校からは何の説明もなくって、マスクをするのが当たり前だったのに、彼女だけは、いち早くマスクをを外した。

マスクを外した彼女の唇は、赤くてふっくらとしていて、男子と話すときに見せる歯並びも整っている。顎も美容整形で骨を削ったかのように、鋭いとまではいかないけれど、自然なシャープさを保っている。小さなマスクは、ほぼ3年にわたって、綺麗に、彼女の唇、歯並び、顎を覆い隠し続けた。

彼女の顔は、やはりきれいだ。
コロナ禍なんて終わらなければ良かった。
みんな、ずっとマスクをしていれば良かった。
不謹慎かもしれないけれど、本当にそう思っている。

私たちは、高校生活のほぼすべての期間をコロナ禍で過ごした。
あの綺麗な顔の彼女は、秋の花粉にさえも弱い彼女は、このコロナ渦という監禁生活から解放されてどんな気分なのだろう。花粉症になったとしても、マスクなんてしないんだろうな。

美容室を出ると、すっかり暗くなっていた。
御池通りの街路樹には、いくつかの種類の木々が植えられている。
どれも、だんだんと秋めいてきた色に変わってきて、御池通のオレンジの街灯がより一層、季節の移ろいを早送りにした。
きっと、今、マスクを外すと金木犀の香りがするに違いない。
私は、すっかり自分の体とひとつになってしまったマスクの無機質な匂いを愛しながら、コロナ禍の前年に初恋をした、ちょうどそのときに漂っていた金木犀の香気を思い出した。
(了)

2 著者情報

著作:ハヒフ
https://twitter.com/same_hahihu

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