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#習作 コロナの頃に。

★重要★
あくまでも創作(SF)です。
正確な情報は厚労省等のページをご参照ください。

約3500文字・読了20分程度

1 コロナの頃に。 

あの3月。
あの3月は最悪だった。
あの3月はコロナの罹患者が見つかるたびに臨時ニュースが流れていた。
そして、4月になると傾向が変わって、死者数・有名人の罹患・政府要人の発言だけが臨時ニュースではいるようになった。
日が経つにつれて、臨時ニュースの深刻さは増していって、あの臨時ニュースの目覚まし時計のような何ら愛情のない機械音が鳴るたびに、より深刻な事態が生じたのかもしれないと、僕を不安にさせた。

コロナのこの頃、僕は、そろそろ店を閉めてもいいとすら思っていた。
イタリアンとフレンチの創作料理で一応工夫はしているつもりだった。
まだ、何とかお客さんが来てくれていた。
古いビルの2階にある狭いお店だけれど、昨日も、固定のお客さんが、同情してくれたのか、ほんの30分程度だけ滞在して普段の倍はお金を使ってくれた。

同じビルの1階にあるチェーン居酒屋なんかは、ここ数日、1日に1組の客が居るか居ないかだった。それを見るたびに、僕はチェーン店ではなくて固定客がついていて良かったと思うのだった。

僕は、いつもより軽いゴミ袋を手にとり、傾斜が急な階段を下っていく。じいちゃんの家のようだといつも思う。階段を出ると、1階のチェーン店の店長に出会った。

店長は、
「本部から明日から臨時休業の命令が出ているんです、おたくも頑張って」
と視線を合わさずに答えた。
店長は、僕から話しかけないと無愛想な人だ。だから彼の言葉の意味よりも、むしろ話しかけられたことが意外だった。
いつもなら、願掛けのつもりで、ゴミ箱に、まるでスリーポイントシュートのようにゴミを投げ捨てていたのだけれど、今日だけは違った。僕は、ビルの裏のゴミ捨場に乱雑にゴミを放り投げた。丸々と太ったねずみが驚いて逃げていく。逃げ遅れた子ねずみが一匹、壁にしがみついてる。

僕は、もちろん宅配も考えていた。
ミールチケットも考えた。
でも、周りの飲食店も馬鹿じゃないから、そう上手くは行かない。
臨時ニュースは、より緊急性の高いものに切り替わっていった。
流れるたびに、大企業の倒産だとか、ロックダウンの継続だとか、そんなニュースばかりになった。もう、どこの県で何人患者がみつかった、何人死んだとか、都知事が会見を開いたとかでは、臨時ニュースすら流れなくなった。僕は、あの不快な機械音を聞かずに、かえって落ち着いたのだった。

僕が、店を閉めることを決めたのは、意外にも早かった。
4月のたしか20日ころには、4月末には閉店することを決めていた。
いつもなら諦めの悪い僕だ。
スロットのジャグラーだって、取り返すまでやり続けたもんだ。
でも、今回ばかりは違って、無造作な言葉だけれど、じいちゃんが罹患した末期の胃ガンのように、本当にどうしようもなかったことを、いくら頭の悪い僕でもわかった。じいちゃんの胃ガンについて、周りの大人たちは「王貞治だって回復したから大丈夫じゃない」なんて慰めの言葉をかけていたのだけれど、僕とじいちゃんとの間では、ドレッシングのかかっていない雑多なサラダのように、その言葉はただ空虚だった。僕とじいちゃんだけで分かりあえていた。だから「また来るね」という言葉が、あのときの僕には、内容がないはずで軽いのだけれど、ひどく重い単語であった。

僕が「4月末で店を卒業します!3年のご愛顧ありがとうございます!」などとインスタグラムで宣伝すると、たくさんの「いいね」がついた。
コメント欄も、馴染みのお客さんのコメントで溢れた。
特に多かったのは、「バジルのパスタがまた食べたい」とのメッセージだった。もう閉めたので言うのだけれど、実は、花山椒などの中華香辛料をほんの僅かに散りばめているのがレシピの肝だった。
でも、実際に、閉店の日に来てくれたお客さんは3人だった。
みんな高いワインを開けてくれたけれど、滞在時間は短くて、ワインを飲み干さずに帰っていった。ワインとともに「また来るね」と言い残していった。

作りすぎたパスタをどうしようか。
僕自身ですら、明日からどうしていいのか分からない。でも、捨てるのはもったいないから、明日のご飯にでもしようと、タッパーにいれて持ち帰ることにした。別にいつでも作れるから捨ててもいいんだけれど、なによりあのねずみに会うのが嫌だったこともある。たぶん、あの子ねずみは、この前よりは、いくぶん痩せているのだろう。いつもなら、太っていくのが楽しくも思えたけれど、今日だけは、3年間続けた店を閉める今日だけは、そんな気持ちになれなかった。

店を出ると、1階のテナントは予告通りに、シャッターが閉まっていた。
事務的な文書が貼ってあった。
昔見たゾンビ映画のように、街には誰もいなかった。
キャッチの若者も、目線だけ合わせてくるフィリピン人も、みんな居なかった。どこかに消えてしまったらしい。
いつもは、雑踏や呼び込みの声、クラクションでうるさいはずの繁華街だ。唯一、タクシーが通過していったけれど、やはり空車だった。

僕は、大量のパスタを小脇に抱えて、歩いて高槻駅に向かった。
今年は春の桜をゆっくり見る機会もなかったけれど、まぁ、近いうちにこのコロナ禍がやむだろうと思って、お客さんの紹介で、どこかの雇われ店長にでもなろうかな、と薄ら考えた。ぼんやりとした月が、頭上にある。手に持った高級なワインをラッパ飲みしていたら、知らずに高槻駅に着いていた。

駅の近くでは、いつものホームレスの老婆がいた。
普段は見向きもしないけれど、余ったワインを飲み干した僕は、なぜだかバジルのパスタを彼女に差し出した。
「だいじょうぶ。僕がいま作ったところだから」
老婆は、僕の言葉にはっとして、すこし仰け反ったようだった。
そして、老婆は不機嫌な表情を浮かべている。僕は「だから誰も助けてくれないんだ」と言おうとして辞めた。
僕がパスタを手渡そうとすると、老婆は何ら言葉を発さずにしてビニール袋を「地面に置け」というふうな仕草をした。
僕は、
「冷めても美味しいからね、こんな時期だから身体に気をつけて。めっちゃ美味しいからね。」
そういって、改札にむかった。
老婆はだまって、手を振って、ワンカップの日本酒に手を伸ばしていた。
今気がついたけれど、彼女は僕との接触を避けたかっただけなのかもしれない。ワンカップの空き瓶がいくつか転がっていた。

                 *
猫すらも、僕の気配を察すると逃げ出す。
あの老婆と最後に出会って、どれくらいの時間が経っただろう。
珍しく引き際を間違えなかった。
いままで、散々に、スロットの北斗、番長、俺の空からはじまって、引き際に失敗してきたのだけれど、今回だけは上手くいったとおもう。

僕も店を閉めて街を出たので、あの老婆に会うこともなくなったけれど、僕にとっては、最後の客だからフライパンの焦げのように脳裏にこびり付いてしまっている。自分の店の最後の日の出来事だ。このうまく働かない脳みそ自体を取り替えなきゃ、なんともならない。

東京オリンピックは延期になって、その後に中止になった。
苦労して手に入れた、東京オリンピックの興味ない種目のチケットも無駄になってしまった。返金についての説明は、二転三転して、でも結局、全額が返還された。パリオリンピックも、今はやるといっているけれど延期の可能性もあるらしい。どうなるのか分からし、もはや興味もない。

いろいろな薬が開発されては、効果が薄かったり、副作用があったり、あるいは政治的な問題か金額の問題なのかわからないけれど、市中に出回らない。

芸能人や政治家、なにより僕の親族、その何人もが亡くなっていった。芸能人については、最初は、盛大な追悼番組がなされた。あまり有名ではない芸能人でも、関西の深夜枠で追悼番組が放送されていた。でも、次第に、有名人ですらも、死者数十万人のなかの「1」という、ただの数字になってしまった。一部の政治家だけは、だれも罹患していないものだから特効薬があるなどと噂され、来週早々、日比谷公園で大規模なデモがあるようだ。参加資格は、コロナに一度罹患して耐性がある者だけとのことだった。

市中にある店は、ハンバーガーショップや牛丼屋、ファミリーレストランばかりで、僕が高校生のときに行ったことのあるチェーン店ばかりが残っていて、自営業の店はほんのわずかだ。そんななかで、割烹を続けている友人の店に2年ぶりに行くことにした。

彼は僕を羨むかもしれないが、僕だって彼を羨んでいる。

何から話そう、何と声をかけてくれるのかな、なんてことを信号機の点滅くらいの速さで考えていた。もう、僕は家でパスタは作らない。

高槻駅に来たのは、店を閉めて以来だった。
さすがに、3年間経営した店がある街だ。駄犬よりは正確に、自分の店や馴染みの店の方角くらいは、スマートフォンなんて見なくてもすぐにわかった。

僕が駅を東に進んでいくと、ゴミ捨場の奥で、カンカンと、陶器の皿を叩く音がした。
振り向くと人影があった。
あの最後の客の老婆だった。
あいかわらず、ワンカップの日本酒の空き瓶が転がっていて、この風景だけは2020年と変わらなかった。
僕が近づこうとすると、手の甲を2度、3度、外側に振る。
どうやら近寄ってほしくないらしい。僕はすでに罹患して免疫を持っているし、いつの日かもう一度、「バジルのパスタを持って、また来るね」と言おうとしたのだけれど、それを伝えることすらもやめた。
老婆の足元にはいつもどおりのワンカップの日本酒があって、枝から折られた桜が一つだけ刺してあった。
僕は、パスタの感想を聞こうとしたけれど、折られた桜をみてやめた。
乱雑に折られた桜は、まだ散ってなどいなかった。
(了)

2 著者情報

著作:ハヒフ
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