11年前のこと…2011年問題その2
あれから11年か…あの2011年~12年は公私ともに色々なことがあったよな~
2011年は
3月にはいり、3.11の震災、転居、突発性浮腫(2日で4Kg、腎機能への異常はとりあえずなく、一応突発性といわれた)、胃腸痛、抑うつ症状が悪化、乳輪下膿瘍(陥没乳頭)、吐き気と顔面蒼白、夜になると繰り返すふくらはぎのこむら返りなどがありました
もう色々な病気というか体調不良が重なりました
わずか3週間の間に病院へは予定外で何度も受診をしました
勿論定期での通院もありましたが…
引っ越しも震災前に業者を抑えていたので、予定通りの日程で引っ越ししましたが…震災直前に家の契約を済ませて鍵を受取ってはいたので、震災直後は引っ越し前ですが、計画停電などもあったり、電車も本数と減らしているなどで引っ越し先から出勤していたりもしました
家電なども新しくする予定でいて、引っ越し後に荷物を搬入するべく配送を依頼していました。家を借りてすぐのときに、最低限の生活用品を少しだけ持っていており、そこにトイレットペーパーを3ロールくらいを入れてました。震災後に買う予定でいたのですが、仕事はフルタイムだし、店は早じまいだし…食料品や日用雑貨も合っても売り切れているなどでなかなか必要なものを購入することもできませんでした
情報源になるテレビやラジオもなく…これだけは震災翌日の仕事帰りの量販店で無事にラス1だったラジオを購入はできましたが、計画停電や電車の運行も夜にならないと決まらずに、情報も出ないのでそれを聞かないと眠れない状況でした ただ、職場も新居も幸いに計画停電のエリアからは外れていました。また新居からだと電車の減便でもなんか職場には行ける状況でしたたが、転居前の自宅だったら計画停電はある、電車の減便などもあり職場にいくのも厳しい状況だったので、新居の鍵を受取っていたのでそこで借りてすぐくらいからは、ほとんどそこにいました
震災の日は自宅に帰れずで、翌日、買い物をして新居に荷物おいてから自宅に行ったら、布団の上に時計が落ちていて、時計の蓋の硝子が割れて、布団では寝られない状態になっていましたw
そして、自宅に帰宅したものの、仕事関連のことで重大なことを忘れていたことに気が付き、再度、この日の午後から職場へ行きました
その内容は「震災があり、この先、材料の欠品等になり献立変更や品数を少なくすること可能性があります。」ということを患者さんに説明していなかったことを思い出しからであり、職場で連絡用の文書を作成印刷して、配布がてた説明に回りました。療養病棟の分は看護師の方で説明しておくと言ってくださったのでお願いしました
この日は、一旦新居に戻りました
その後、引っ越し準備等で自宅に行った際には、布団は使えないというか硝子の破片だらけなので夜はそこで寝ずに、段ボールを敷いてバスタオルとかかけて寝た記憶があります
別居だしと引っ越しのときに、そのまま布団は置いてきました( ´艸`)
新居の契約が終わってからは、持ち出す荷物は数日かけてまとめては移動はさせてありましたので、そこで急いで家のトイレットペーパー半分くらいを持っていく荷物の中として箱に詰めておきました
突発性浮腫も、2日間くらいで4kgくらい体重が増えていて…・
吐き気や立ちくらみもあったり、やたらと体が重いな~と思い、体重計にのったらメチャクチャ体重が増えていて、これはただ事ではないな…と思い、慌てて受診をしました
たぶん、これも色々なストレスからだったと思います
この頃は電車も間引き運転であり、満員電車もギュウギュウで押されていて電車の乗ってしまえば、逆に押されて電車内で倒れる心配がないというある意味ではラッキーだった頃でした
その後には、ボーっとした感覚と気持ち悪さがあり、駅のトイレの鏡をみたら顔面蒼白だったときには、電車内などで救急車騒ぎになったら嫌だな~と思い、仕事を欠勤することにして、急いできた道をバスで引き返しました
降りる予定の停留所で折りそびれるという失態を起こし、1バス停先まで行ってしまい、そのまま循環するバスだったら良かったものの終点はもっと先で、そこから1バス停歩くことになり、余計にあることになりました
乳輪下膿瘍も1回は抗生剤内服でおさまったものの、月の後半あたりからは、炎症が復活してくるし…過去に何度も炎症は起こしていましたが、抗生剤服用で炎症は治まるの繰り返しでした
まさか、1度炎症がおさまってからもストレスからなのか再燃した時にはお驚きました
胃腸痛も、ストレスからでは?という感じでした
ここまで、わずか3月中での1か月間の出来事です