あわいの居心地
大きな書店に行くと、迷子になる。誰とも話さないし、いい本にも遭遇しない。
小さな本屋さんに行けば、リラックスする。店員さんとお話しができるし、素敵な本に出会えます。
先週、下北沢のB&Bに再訪しました。すると、見たことのあるイラストと名前が目に入りました。工藤あゆみさんの本でした。
昨年、インターナショナルスクールで中学国語でエッセイの授業をやった時に使った本があります。
それが『はかれないものをはかる』(青幻社)。
答えがないような課題を毎週出していたので、工藤さんの本は、頭ではなく、心で感じてから書く必要があると思ったのです(生徒もかなり苦労してましたが…)。でも工藤さんが書かれる絵が実にキュートで、そこにも惹かれました。
「あなたが去った後の静けさをはかる」
この課題でエッセイを書け、と言われたら私自身、しばらく頭を抱えそう。道具で「はかる」ことはできないけど、心で「かみしめる」とか「あじわう」ということはできそうです。まあ、書きようはいろいろあるかも知れませんね。
そもそも「はかる」という「数字で証明」してみせるというような科学的な思考が嫌いだということもあります(「エビデンス」というのも大嫌い)。
『はかれないものをはかるひと』は小冊子で、この『はかれないものをはかる』に掲載された課題に込めた想いを工藤さんが解説しているものでした。
☆☆
久しぶりに工藤さんの世界と再会した私は、もっと工藤さんの本が読みたくなりました。巻末に彼女の本を常備している本屋さんが載っていました。その一つがニジノ絵本屋さんでした。
先日、早速ニジノ絵本屋さんに行きました。
本屋さんは都立大学駅にほど近いところにあり、こじんまりとした店内には選ばれた絵本がゆとりを持って置かれていました。別の作家さんの展示があり、それも興味深かったのですが、とりあえずお目当ての工藤さんの本があるか尋ねました。
笑顔で感じのいい女性が出てきて、すぐに用意して下さりました。そうしたら何と新刊が出ていました。
今回は教室での学びという設定。そして実際に読者に答えのない問いを与えてくれます。
「今、君の心に誰が住んでいますか?」
家にひとりでいても、心の家にはいろんな人が出たり入ったり。
思い出の中の人。今いない家族。あの人。この人…。
「( )+( )=私は幸せ」
本にはイタリアの人たちの例が載っています。
「遊び」+「食べ物」とか、「いい天気」+「散歩」など。
この変化球を思いつきました。
「( )-( )=私はちょっと不満」とか。
まだまだ面白い課題がいっぱい。
どの本もいまやお宝です。
工藤あゆみさんの絵とことばが繰り広げる世界の魅力ってなんだろう。
生きづらい社会という現実があり、それに対して自分の心がさまざまに揺れてしまうことを肯定的に描いているように感じます。
「こうすべき」とか「こうあるべき」という言葉は一切ありません。さらに「こうしたら」みたいな提案もあまり感じません。
心の揺れに応じたいろいろなアイデアがあるんだよ、それを考えてみて、というようにふんわりと言っているだけです。
自分と他人や社会、心の内側と外側、その関係性はいつも不安定です。
二つの領域の中間を「間」といいます。「あいだ」と読めば、「なにもない」空間を指し、「あわい」と読めば、「交わった」空間を意味します。
旧い家屋によく見られた「縁側」のように、お客さんが気楽に上れる場所でありながら、家族も一緒にくつろげるところ。「ウチ」と「ソト」という区分けがありながら、「あわい」としての中間的な空間が日本にはたくさんありました。
他人との距離は物理的なものだけではありません。むしろ、情緒的な距離感のほうが気になるものです。それは心の状態と大きくかかわるので。
「あわい」の有り様はつねに変化します。
どうしたら自分が穏やかに過ごせるか、他人も傷つけずに。心が落ち着けることはとても大事なこと。
工藤さんはこの「あわいの居心地」を表現しているように思います。
日本では心の外側、社会の論理が優先されがちです。それは私たち一人ひとりには苦しいこと。これからは個人の心の内側の揺らぎを大切にするようになってほしい。
工藤あゆみさんはイタリアで絵画を勉強され、絵とことばで独自の世界観を表現していて、ボローニャ国際絵本原画展に入賞され、現在もミラノ郊外で家族と生活されているそうです。
イタリアの文化って本当に魅力的で不思議です。歴史背景としての古代ギリシアとローマの文明、そしてルネサンスの影響はもちろんあります。イタリアの文学や映画は唯一無二の世界観をもっています。
イタリア文化を味わいながら、ゆっくりと心を育んでいけたらと思います。工藤さんの本、おすすめです。