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神保町は煙かった・・・・
マスクが日常化してから、臭いを感じることが少なくなった気がする。小児喘息で苦しんだので、道すがら、どこからか漂ってくるタバコの臭いには敏感になる。即、マスクをする。
私が小学生のころ、神保町は実に賑わっていた。いろいろな商店があった。古本屋や喫茶店はもちろん、かけはぎ(衣服修理)・Yシャツ店・材木屋・洋品店など今はないような店があった。でも同級生の家は、やはり古本屋が多かった。
実家のウラに雀荘があった(ここも同級生の家)。たまに親に頼まれ、実家の商品を配達したことがある。
曇りガラスのドア(店内が見えないように)を開けると、一気にタバコの臭いが押し寄せてくる。およそ人が住む空間とは思えなかった。
子どもにとって、もう一つの大人空間、ジャズ喫茶も実家のすぐウラにあった。さすがにここへは和菓子の配達はなかったが、好奇心から一度だけ半透明のドアを開けたことがある。
やはり最初の一撃はタバコ臭。そして、轟音。さいごにジャズに聴き入る大人の影がチラッと見えた・・・。
煙かった場所ではあったが、よく遊びに行ったのはパチンコ屋だ。なにしろパチンコ玉が欲しかった。えんぴつサックを立てて、パチンコ玉をころがして倒すのが楽しかった。パチンコ玉は人生劇場の前の路地の溝にもよく落ちていた。こっそり店内に侵入して、拾うこともあった。やはり煙かった。
そんな中、放課後は路地で三角ベースボール。路地の突き当りにはお稲荷さんがあり、いつも挨拶してから遊んだものだ。
1970年代は排気ガスによる大気汚染がひどくて、小学校でも頻繁に光化学スモッグ警報が発令されていた。
大人が築いた文明、それは煙をともなう愉悦の世界。私もその文化の臭いをかがされて成長した。
土曜日、再び神保町へ繰り出す・・・。
なんだか、若者が増えた。彼らはどんな臭いをかいでいるのだろう。