『滅相も無い』に癒やされた。
うーん! めっちゃいい終わらせ方で良かったなあ。
エンドロールを眺めながら、久しぶりに良い小説を読んだふうな清々しさを感じていたよ。
「穴」という逃げ道が許されていること、自分を語る機会を与えられることは、共感に疲れた優しい人にとっての癒やしになるのかもしれないね。
孤独は人と人との間にある。ジレンマが人を孤独にするのだろうかね。
ああ、ひとりで勝手に甘えたり期待したり突き放されたり、心が忙しい。
岡本にどうしてほしい?
年末!
たったそれだけのことだけど、意外とそんな分岐が本人の性格と掛け合わさって大きく人生を変えるのかもね。
たとえば悲観的な性格なら「年末」が背中を押して穴に向かうかもしれないし。岡本にどうしてほしいか、他の人はどんなふうに思うのか気になるな。
よかったらコメントで教えてください。
私はもともと穴に入る気がないので、「入らない」を前提に考えてしまうし、それを岡本にも期待してしまう。きっとカフェもやっていて、猫をなでながら店員と来年の抱負なんかを語り合っちゃったりできるよ、と思う。
だけど店を出た途端に虚しくなって穴の前に戻ってきちゃうかもね……?
メインビジュアル個性強すぎ問題
このドラマに興味を持ったのは、設定の面白さとキャストの魅力、それから初見で少しギョッとしたメインビジュアルだった。シュールだな?というか。岡本太郎?というか。個性が強い以外のことはよくわかんなかったなあ。
穴といえば星新一なので、『おーい、でてこーい』な展開もありえるのかと思っていたけど、流石にこのビジュアルとは繋げられず。
でもドラマを数話見たところで「この手はあの8人なんだ!」と気づいてからは、「沈んでいく?」「救いを求めている?」「誰かに掴んでほしい?」とか、「小澤はその手を掴む気が無いんだよね、知ってる」なんて色々と感じ取れるようになって、結構いいじゃんと思ってる。
穴に向かう後ろ姿、なんでか涙が出る
1話。もしかしたら普段よりも胸を張って、確かな足取りで穴へ向かう川端の後ろ姿を見守っていたら、すこし寂しくなって涙が出た。
待ちかねた旅行のように楽しげな松岡の姿も、心の整理をつけた青山の姿も。なんでか皆が旅立つ時には涙が出る。平穏であるように祈りながら後ろ姿を見つめている。
もしかしたら、というかやっぱり、境界を越える姿に死の訪れを感じているからかもしれないなあと、いま思った。
それから、こんな曲を思い浮かべた。
だけど、そもそも皆なんで穴に入りたいと思うんだろう。
リセットできると思っているの? 穴の向こうでは再会した誰かとの関係とか、何かしらがポジティブに変化するって思っているの?
いっそのこと、チート能力付き異世界転生ポータルだったらいいよね。
十人十色の「不器用さ」があるなあって。
自分のことを話したところで、どうせ本当の意味では理解されない。
私はそう思うことが多いなあ。それを繰り返すことで、言葉はどんどん簡単になり短くなり、まとまらない感情の塊や、どうせ理解されない文章はデリートキーに消されていった。で、結局何も書けないと感じることが多くなったし、こういう記事もありえん程の時間をかけてようやく書いてる。
自分の話をnoteなり何らかの形で残さないと、何も無いみたいに思えるから、本当は全部を文字にしたいと思ってるけどできてなくて。
それでも出来る範囲で自分はよくやってるって、今はこんな事を考えてるんだって、つまらない話だけど通りすがりの誰かの琴線に触れて「スキ」してもらえたらうれしいなって、自分のために書いているような所がある。
でも、ほら、読む側にしてみればこんな話どうでもいいでしょ。
この8人だって、自分以外の人間の話がどのくらい記憶に残っているやら。
でもまあ、「不器用だなあ」なんて共感が得られればいいんだろうね。
それが一番求めてることかもしれないしさ。
あらためて感想。2周目以降に聞くコテージでの会話は、それぞれの抱えるものが垣間見えて味わい深いねえ。
■川端
怒れないことで傷ついてきたけど、怒ったら怒ったで傷ついてしまう不器用な繊細さが生きづらそうだった。おまけに女性陣からも傷口に塩を塗られてかわいそすぎるだろ(苦笑)
最後の「これ、あとで、書いたものって、見せてもらってもいいですか」に、どうにも心を掴まれた。
■松岡
一瞬で涙声になるほど混乱したメンタルボロボロな姿を見せ、その次の瞬間には元の表情に戻り淡々と心情を語り始めるという、いかつい演技力に絶句。そしてツインレイ。あんなの目の前で見せられたら羨ましいだろうな。
小澤の「ドイツに穴は無い」連呼がなんかおもしろかった。たまに思い出してマネしちゃう。
■青山
おいおい何だよあの毒親の謎苦情と文字数……!
青山には悲しい思い出が多くて、本気で泣いてる姿は見ててつらくなるばかりだったので、最後に青山が「わかりません」と言い切ったことがこちらの救いになったし、急にこちらを振り向かれてどきっともした。だけど親に振り回されることのない人生、つまり穴に入らずに生きることは選ばないんだなあと不思議にも思った。
■渡邊
まるでだめなおっさんだった。へんにプライドがあるぶん子供っぽさが目立つけど、そこが女性にとっては母性をくすぐるポイントだったりもしてね。いい女の子に拾ってもらえてよかった。家族も見捨ててなくてよかった。
でも、なにかにつけ「穴に入ろうと思う」で家族をゆする人にはならないでくれな。
■真吾
私は真吾を全肯定するぞ。
だけど穴に入らずにいた世界では、メリットを考えたら割り切ることも必要だったと振り返り、ずるくなったものだと思う時が来るのかもしれない。
真吾が自転車でセットを走り回るシーンはすごく楽しかった。
あとは穴に入る前の「会って話がしたい」という選択は、どういう気持ちなのかよくわからなくて気になる。佐藤と自分を重ね合わせたのか、返信ゼロに期待したのか、なんにせよ自分を肯定したいんだろうなと思った。
■井口
たぶん井口は人一倍優しかっただけで、「普通の人」の持つ「切り捨て力」に違和感があっただけだよね。
危ない橋も一緒に渡れる、梅本さんとの関係はちょっと良かった。
そして扉を引きずって運ぶ古淵さんの姿に感じるちょっとしたホラー感!
■岡本
なんだ、ただのホラーか。子供の頃にこんな夢見ちゃったら間違いなく一生のトラウマ。井口の回想で古淵さんを演じてた方がおばあちゃん役をされていたので、登場した瞬間からうっすら怖かった。
ここまで当たり前のように聞こえていた効果音が消えたのも怖かったね。
16分頃の「そこから気がつくと――」の岡本の左の瞳の反射光が気持ち悪くてとても良かったなあ。
岡本は記録者だから最初から少し特別感があったし感情移入しやすかった。
私が過去に人生のすべてを使って推してた楽団を好きだという人が現れて、それで懐かしくって「あの時全国から寄せ書き集めて献上してさ」とか、「浜名湖や白樺湖でファンミーティングがあってさ」、「あの曲のライブでさ」なんて話をしても「へー」「ふーん」しか帰ってこず、あまりの記憶の共有できなさに「私しか覚えていない過去なんて夢と同じだろ…」と絶望したり諦めたりして、そのまま現在に至るのと似てるなって思ったから、そういう意味でも岡本が一番気に入ってるかも。
■菅谷
なんだ、ただのファム・ファタルか。
毛利自重しろと言いたくなるけど、気持ちもわからなくもない。
実は菅谷回を見逃していた(ちょっとTVer、ドラマはすべて3話までキープしといてくれ)のでネトフリ加入して最後に視聴したのだけど、教団に関するエピソードがあったので、見るタイミングがここで良かったなと思う。
信者の話がざっくり書かれた本になって売られてるとか、穴に入らなかった人はその後どうするなんて2話時点で知っていたら感想変わってた可能性もあるし、菅谷の決断が8人のなかで最も特殊で最もミステリアスだったのも最後に見て良かったなと思ったポイント。
■小澤
絶妙に説得力があって、絶妙にうさんくさくて、絶妙に頼りたくなる。とても存在感が良かったなあ。穴はねぇ…ドイツにはない。
小澤は幼稚園の時に形の珍しい松ぼっくりをジャングルジムから投げてクラスメイトに拾わせることで地位を築いた、というエピソードやコメンテーターやってた事しか語られていないけど、誰からも見向きもされないことに耐えられない性格なのかなって思った。自分が指差した方向に人が歩いていくのを見るのは楽しいと思う。
小澤は穴に入らないのか?入らないんじゃないかなあ。
「いつかは入ることになるだろうけど、僕は君たちを見届けなきゃならないから」とかは言いそう。
舞台のセットや音楽も良きだったなあ
最初に心奪われたのはワンカットの場面転換だったと思う。
とても軽やかで、見ていて気持ちいいんだよね。
ワンカット撮影という概念を初めて知ったのは『有頂天ホテル』だったかなあ。でも観ているぶんには話にのめり込んでしまうのでカットがどうだったかが印象に残ったことはあまりなくて、繰り返し見てシーンが頭に入って他のものにも目が行くようになってきた頃に「おお」ってなる感じ。
だけど『滅相も無い』は、場面転換もシナリオのうち、みたいな感覚だったので初見から両方とも良いバランスで楽しめた気がするな。リアルすぎないのがちょうどいい違和感で良かったんだろうと思う。
それから、妙に『バードマン』が懐かしくなったんだよねえ。それは音楽の印象からなのだけど、気になって見直してみたらワンカット撮影だった。
ワンカット撮影だとキャラクターに空白の時間がないので、緊張感やリアリティが増すと言うか、人となりをあます所なく観られるのがいいね。これは演劇の楽しみ方に近いかもなあ。
それからUNCHAINの存在感も良かった。
抑圧された場面でよく暗がりに佇んでいる彼らは、たぶんそれを掻き鳴らしたい、自分らしく在りたいと求める気持ちとリンクしてる。主役が生き生きしている場面では一緒に楽しく演奏してくれる。そんなところからも感情を読み取れる気がした。
あとは日付の入れ方と、そこに合わさるシンバル音。
あれがなんだか映画っぽくて好き。
クリープハイプ『喉仏』も好きだし話したいことあるけど、いったん感想編はここまでにして、続きは考察編で話そうかなって思う。