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儀式の強迫性

 原付きに乗った法衣のお坊さんを街でよく見かけるようになりました。暑そうだなあ、バイクは危なくないのかなあ、とぼんやり目をやりながら、お盆の時期であることを思い出します。

 いつ実家に帰ろうかなあ、と考え出すのですが、ここ数年はお盆の時期に帰ることができていません。そのせいか時期をずらして帰るときは何となく罪悪感が乗っかかっていたような気がします。

 お正月やお盆は実家に帰って親戚が集まってきたりする・誕生日やクリスマスはお祝いする、といったイベントが苦手だったので関わらなくて良い場合は避けてきたのですが、避けたら避けたで、何かバチが当たるのではないか、後で良くないことが起こるのではないか、といった強迫観念に襲われます。

 イベント以外でも、日常的にルーティン化している行いを、忘れてしまったりサボってしまったりしたときは、調子を崩してしまうのではないか、と不安になることがあります。その不安を消すために、後々余計な努力をする羽目になります。

 イベントや儀式は、それぞれいろんな意味や目的が込められているとは思いますが、根本的には、どんなときでも何に対してもついてまわる人の不安(よくわからない恐ろしいものに対する)を和らげるためにあるのだなあ、とあらためて実感します。

 ずっと変わらずそばにいてくれるもの、絶対に自分を裏切らないものを心の拠り所として、私たちは必死に生きています。ただ、その心の拠り所もいつかなくなってしまったり、時には変形することもあるので、それを知っておかないと、後のダメージは大きくなります。

 “心の拠り所”という偶像と上手に付き合っていきたいものです。

 



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