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器が小さくて溢れてしまうから、受け止められる懐の深さを育てたい

連休明け。


ここで行かなかったら当分行けないだろうと、
職場を逃げるように飛び出して
ヨガに行って、


ふと、時々考えることがまた
頭の中でくるくると動き出した。


懐の深い、おばさまを目指している。 

器が大きいって、
素敵な響きだし憧れるけど
色んな意味で使うな、と感じる。

あまりにも動じなさすぎたり
リスクを読まずに常に大丈夫と言って
問題が起こっても学ばないような
器の大きさもあったりするから、

いい意味だけでもないよーな。

って、捉え方をするのは
器のかなり小さい、私だけなのか?


色々な仕事をした。

美術館や企業の受付をやっている時、
色んなタイプのおじさまに会う機会があって。

あれ?
肩書きの割には、大きなものが感じられない。
自分が脱いだ靴も揃えず秘書にやらせ
何者でもない女性には会釈もしない

っていう大企業やお役所の方もいれば

小さな会社の経営者だけど、
まるで案内している人を逆に
"一緒に遊ぼうよ"と誘うかのような、
陽気なオーラを感じる方、

多くを語らないのに
包み込むような温かさをまとう方、

色んな方を、見た。

きっと、
私みたいな庶民からは想像もつかないような経験と勉強、喜びや悲しみ、怒りや嬉しさ

そんな背景があったうえでの

オーラであって、深みなんだろうな。


影があればあるほど、
光が暖かく、美しいんだ

と。


そんなことを考えながら呼吸をした
ヨガのひととき、


いい時間だった。




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