ライジング若冲そして若冲ナイト(1)
11月2日(土曜日)は盛りだくさんでした。
NHK地上波15時からドラマ「ライジング若冲」再放送。
京都嵐山福田美術館で「若冲ナイト」開催。
そのどちらも味わった記録です。
ライジング若冲とは
2021年1月2日の正月時代劇として、中村七之助さん、永山瑛太さんダブル主演の「ライジング若冲 天才かく覚醒せり」がNHK総合にて放送されました(便宜上「地上波版」と呼びます)。
その2週間後の1月16日には15分拡大された「完全版」もNHKBSのみで放送されています。※
今回の再放送は「地上波版」でした。
私は美大時代に図書館の大型書籍で伊藤若冲と出会っており、それ以来彼の絵のファンの端くれとしていろんな美術展に通ってきましたが、彼の人物背景に興味を持ったのは実を言うとこのドラマを見たからです(告白)。
なので、前回noteのように、絵師若冲にとって重要人物である大典禅師にも並々ならぬ関心がある訳です。自分の職業柄、禅寺や禅僧の方々に親近感があったことも要因の一つになってますが、まあそれは別の話…。
このドラマは現代で一般的な、いわゆる若冲のパブリックイメージ「勉強嫌いで字が下手、三味線などの芸事も駄目。酒にも女にも全く興味がなく、人づき合いも苦手」をなぞらない作劇です。
いえ、確かにドラマの中でも芸事も酒も女遊びもしません。
ですが人づき合いが苦手には全く見えませんし、むしろ錦市場の大店の主人にふさわしい風格と威厳と人徳を持ち、家族や店の者達や近所の商売仲間にも非常に慕われる好人物として描いていました。
私はそこにまず感動しました。同時にそれまでパブリックイメージに漫然と囚われていた自分を恥じました。
「これほど緻密な絵を描ける人間は生涯をかけて絵に没頭し、浮世離れし、周りの誰とも交流を持たない、孤高の存在なのだ」
こうした刷り込みによる、長年の勝手な思い込み(実際そういう風に伊藤若冲を解説するものは少なくない)。そこにあぐらをかいたまま漫然と「動植綵絵」や「玄圃瑤華」を愛でてきた自分の間違いをガツンと殴られたような新鮮な衝撃を覚えました。
史実の伊藤若冲で近年知られるようになった姿=錦市場の町内町年寄として社会的役割を果たす公的な人物という側面をさりげなく取り入れたドラマだったことが、本当に嬉しかったのです。
史実とフィクションの近くて遠い関係
近年NHKは「芸術家ドラマ」をいくつか制作しています。「眩(くらら)〜北斎の娘」(葛飾応為)や「広重ぶるう」(初代歌川広重)など。現代作家なら「TAROの塔」(岡本太郎)もあるでしょう。
「ライジング若冲」もその系譜の一つで、かつNHKから秀逸なドラマを送り続ける源孝志氏の脚本・監督作品でもあります。
ただし、これは「ドラマ」なので!もちろん、フィクション盛り盛りなのは百も承知です。
それでも私には刺さりました。
無名の絵師の描いた「蕪に双鶏図」に興味を抱く、巨大な僧門の下で期待を一身に集める己に忸怩たる思いを秘めた詩僧。
家業を譲ったものの目指す絵の方向性を自分の中で見定められず迷っていた頃、人生の先達から糸口として聡明な僧侶を紹介された絵師。
そんな二人が互いに影響を与え合い、時に優しく、時に厳しく織りなす宿命の綾。
自由に絵に打ち込める時間を持つ若冲に密かに嫉妬し、絵を追求するため出家したいと思いつめた若冲の訴えをはねのける大典禅師の態度であるとか。
仏に帰依して如何なる時も揺らがない大典禅師や人生を達観する売茶翁に憧れ続け、どれほど絵の才を称賛されても誰かに自分の歩みを見守って欲しいと願う若冲の切なる思いであるとか。
天才であっても抱える苦悩や、そこから見出す掴み取った芸術の喜びや。人の強さと、それでも捨てられない心細さと。
そういう姿が七之助さんの優雅な佇まいと、瑛太さんの凛々しい立ち居振る舞いで、非常に端正に描かれていました。
史実の行間を作劇で紡ぐ手法が大好物の私にとって、「ライジング若冲」はとにかくツボでした。私のヘキに深々と爪痕を残してくれました。
知られざる作品がもう1つ
これまで時代劇専門チャンネルで実は数回、そしてNHKBSで1度、今回は本放送以来のNHK総合にて再放送された「地上波版」ですが、本放送当日には本編終了後に「若冲紀行」というミニ番組も続いておりました。
実はこれが破壊力すごかったんですよ。
石橋蓮司さんが劇中の「売茶翁」の役のままナレーションをされるのですが様々な絵の紹介の他、若冲の生前墓も語られました。この墓石は正面以外の三面に渡って大典禅師の記した銘文が刻まれており、それにも触れています。
「若冲の人柄や才能、動植綵絵三十幅の快挙を熱く讃えている。これは友への賛辞か、はたまた恋文か?いやいやいや、いらぬ詮索はやめておこう。諸氏のご想像にお任せする」
存分に任せてくれ!全力で想像します!
そして若冲紀行の〆はこうです。
「1800年85歳の若冲は、あの世へと飛び立った。その5ヶ月後、亡き若冲の誕生日の日。生涯の盟友、大典顕常も若冲のあとを追って、飛び立った」
わかった!負けた!公式最大手!!
ちなみに更にコアな史実としてプチ情報。
寛政12年9月10日に若冲が亡くなった場所はご存じのように深草石峰寺。埋葬もされています。しかし若冲は自身の遺志か、髪を一房相国寺の生前墓に届けさせたと伝わります。ですから相国寺のお墓にも若冲さんの魂は眠っているとも言えますね。
空前絶後の什物・動植綵絵を奉納してくれた若冲の四十九日法要を相国寺は10月27日に鹿苑寺金閣で執り行いますが(※)、その法要の導師を務めたのは誰あろう当時相国寺のトップ=住持だった、最晩年の大典禅師だったと考えられるそうです。
現在のところこの若冲紀行は円盤でしか見られません。大人の財力で入手して下さい。
そして未だ地上派で未放映の「完全版」も合わせて再放送してくれとひたすらNHKへ要望しましょう。私はしょっちゅう送ってる。
うっかりこんなファンアート描いちゃうぐらい好きです。
そして伝説へ
うっとりとライジング若冲視聴の余韻に浸っている暇はありません。ドラマが終われば私は嵐山へ向かわなねばならないのだ。
放送前、そして放送直後に実はめっちゃ煽っていらっしゃった福田美術館さん(私は放送待ち構えていてネット見てなくて全然気づいてなかった笑)。こちらで行われる限定イベント「若冲ナイト」へ参加するためです!
ご承知の通りこの日は全国的に大雨でした。しかし嵐山へ着いた頃にはすっかり上がっており、それでも大堰川の勢いは尋常ではなく、なかなかの恐怖でしたよ。
若冲ナイトについて詳しくは次項で。
もし読んでくださった方いらっしゃったら、お疲れ様でした。