発達障害って本当に障害?特性なのでは?
はじめまして、herugemuと申します。
私は2019年に友人から発達障害の話を聞きその存在を知りました。
その後、転職活動でつまづいた事で本格的に精神科を受診する事を決意し2021年12月にASDとADHDと診断されました。
またこのnoteを書くかどうか正直悩みました。
何故なら私の嫌な記憶や苦しんだ記憶を思い出しながら書かなければいけないからです。
しかし今まで悩んでいた事を考えると、発達系ではない人にどのような悩みがあるのかを知って欲しいと思い書くことを決めました。
幼少期の悩み
みなさんは、幼少期どんな子供でした???
わたしはとにかく落ち着きがない・チョロチョロ動き回る子供で問題児でした。
後から分かったのですが、これはADHDからくる多動でした。
そのため、母からとても落ち着きがなく手がかかったと言われました。
実際に天井に絵をかいたり、常に走り回ったりしたそうです。
そのため保育園ではよく叱られていました。
学童期の悩み
みなさんも多くの人の前で発表する機会ってありましたよね??
わたしは特に、みんなの前で発言する事が極度に怖く全校生徒の前で意見を言う会があったのですが、その時はうまく発言が出来ずに泣いてしまいました。
悪いことは続き、小学3年の時はそんな落ち着きのなさと不器用さから聞き分けのない子供として担任から体罰を受けて以来、発言できなく常に大人を怒らせないように怖がりながら生活しました。
小学校では集団生活になじめず、特にリコーダーの練習や多くの生徒がいる前で発言することが恐怖でした。
同級生からバカにされたり、笑われて以来自分の感情をなるべく見せないように常に無表情になるように心がけました。
思春期の悩み
この時期は家庭の事情もあり家族がギクシャクしていた時期でした。
新しい環境に慣れないストレスや順応が遅いことや察することが下手なわたしは中学2年の時同級生からの悪ふざけで不登校になりました。
またクラス替えのため仲良くなった友人が一人もいなくなり、目の前が真っ暗になり学校に行くか死ぬか本気で考えました。
家では現実逃避のためゲームをずっとして引きこもっていました。
同級生が青春しているのになぜ自分はこんなに馴染めないのか?
一体周りと自分の違いは何か本気で考えても分からず、親からも甘えだと言われ自分が我慢して感情をあらわにしない事が一番だと思い自己主張も感情の表現もしないように必死でした。
その後、通信制の高校に進学して仲良くなった友人のお陰で勉強する楽しさに気が付きました。
勉強して成績が良くなることで、親も兄も祖父母も学校の先生にも喜んでもらえ、自分は生きていても良い人間なんだと思いました。
大学生の頃の悩み
大学4年間は公務員試験のため、ひきこもり勉強とアニメを見てばかりいました。
特にファッションに無頓着で同じ服を何日も着ていったせいか。
「ダッセー」「ホームレス?」等とからかわれたのは辛かったでした。
なぜこんなに攻撃的な言葉を投げかけてくるのか?ただただ、悲しく悔しい大学生活でした。
後からこれは、同一性保持という同じ行動をしてしまう発達障害の症状のようでした。
就職活動中と就職後の悩み
大学卒業後、公務員試験のため3年間就職浪人をしました。
しかし、要領がわるくまた拘りが強いためか試験には合格できませんでした。
もうこれで諦めようと思い予備自衛官補と言う仕事に挑戦しました。
試験に無事合格しました。
しかし、銃の分解結合や見て覚えるや耳で覚えるがニガテなためか何度見ても周りと同じようにできず、人よりも長く時間をかけて覚えました。
その後法務事務官看守と言う仕事をしました。
これは生きてきたなかで一番つらい仕事でした。
理由は真似して覚える、見て覚える、マルチタスクがあり周りと違い遅い事を身をもって知りました。
当然毎日上司からは怒鳴られ、悔しいやら情けないやらで泣いていました。
そんな生活が続いたせいか、母からイライラしていると指摘を受けました。
もう精神的に限界で常に恐怖を感じていました。
狂ってしまうと感じ辞表を提出しました。
生まれ育った環境を変えて生まれ変わりたい、その一心で上京しました。
はじめはPC工場での勤務をしました。
PCの修理と言う仕事のため、苦手な対人折衝がなく集中して取り組めました。
ただ熱中しすぎて、体調管理がおろそかになりました。
その結果椎間板ヘルニアが悪化してしまい、退職するはめになりました。
その後はAmazonの倉庫で働きました。
この仕事もマルチタスクや対人折衝がないため行いやすかったでした。
結局椎間板ヘルニアが再度悪化して退職しました。
自分の人生どうして、こんなについてないのか自暴自棄でした。
その後は実家に戻りまた一からやり直すつもりで、IT業界を目指しました。
しかし電話対応が必要な仕事で以前電話対応の業務でパニックをおこしたトラウマがよみがえり、諦めました。
その後は自己肯定感がかなり下がり、健康を犠牲にして成績のため働いた今までの自分の存在意義が分からなくなり、何もかもどうでもよいと思いました。
しかし2021年の12月にASDとADHDと診断を受け、生き辛さの原因が分かり自分と向き合う覚悟をしました。
悩みや愚痴を言っても変わらないではどうするか?
幸いこの特性にも良いところがありました。
過集中と言われる、強い集中力を持つことです。
マルチタスクは苦手ですが、シングルタスクでこの特性を生かし今はIT業界で仕事しているので感謝です。
今後は、発達系を持っていても勝てる土俵で勝つような方法を発表していこうと思います。
少数派には少数派の戦い方があるので、障害と言わず特性と考え生きていこうと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。