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ライターとしての目標はなんですか?

#ドーナツトーク は、誰かが出したお題についてバトンリレー式の連載。書き終えたら次の人を指名し、最後はお題発案者が〆めます。


拓海くんの問い

先日、宮本拓海くんというライターさんが岩手から訪ねてきてくれました。

もともと、拓海くんとの出会ったのは、徳島・神山町。当時の彼は、宿泊したWEEK神山のスタッフさんでした。その後、地元の岩手・奥州市に戻り、ライターとして書くようになりました。京都にもご縁があり、ときどき訪ねてきてくれます。

会うといつも「ライターの仕事」について、いろんな話をします。というか、いろいろ聞かれます。その質問が、すごく心地よいのですよ。今回聞かれたのはこんな質問。

「杉本さんは、書くことで目指す目標みたいなものがあるんですか?」
「へ? 目標?」

「うーーん、目標かあ…」と思いました。
と思ったわりには、わりとすぐに口が動きはじめました。

「世界は一つだけじゃないんだよってことかな。世の中の価値観はひとつだけじゃないし、今目の前にある世界だけがすべてじゃないというか」
「へ?」

今度は、拓海くんがキョトンとする番です。
そりゃそうだよね。

ちょっと、アジールの話を。

学生時代から、私が一貫して興味を持ち続けているのは「非日常空間」です。「祝祭空間(お祭り)」のような、わかりやすい非日常もそうだけど、どちらかというと日常と境界を接しながら、並立する非日常空間。「アジール(フランス語でasile、避難所)」と呼ばれるもの。

もともと、この地上には「統治者」みたいな存在はなく、そこらじゅうが自由な土地であり、空間でした。今日は海辺で寝て、明日は川べりでごはんを食べて、あっちの樹のしたでごはんを食べてそのまま寝ても良かった。「ここはオレの土地だ」と主張する人がいない世界。「法律で定められた土地」なんていうのは、初めからあったわけではありません。

ところが、徐々に国王や領主の力が強くなると、世俗の権力が支配する領域が広がっていきます。それでもなお、飛び地のように「自由の領域」はありました。たとえば、神殿。日本で言うなら神社やお寺。世俗の権力がまかりとおることを許されなかった「聖域」とされた場所。それがアジールです。

中世日本の駆け込み寺、自治都市だったいくつかの町もアジールと捉えられます。日常の世界、世俗の権力と拮抗しながらも、並立しうるだけの力を備えたアジールが存在しえたのが、日本における中世だった…とも言えるかもしれません。

今はもう、はっきりした輪郭を持つアジールは失われつつあります。だけど、アジールを感じさせる空間や活動はあります。絶対に消えてなくならないんじゃないかな。だって、なくなっちゃうとみんなが窮屈で生きづらくなってしまうから。お祭りとアジールは、なくしちゃダメだと思うんです。

黒い雲に覆われてしまわないために

というわけで、私はアジール的ななにかを感じるなにかを追いかけつづけています。

たとえば、お寺(お坊さん)やNPO、山あいの町でのまちづくり。その人たちの話を一生懸命聴いて書いて「目の前にある世界だけがすべてじゃない」「この世の中を覆っているように見える価値観は絶対じゃない」ということを、喚起し続けたいと思っています。

人も社会も、変わらないままでいることなんてできない。世の中の価値観なんて100年くらいの単位で変わっていくものなのに、「これが絶対だ!」なんて言い切れないはず。なのに、今の世の中の価値観に苦しんで、黒い雲に覆われちゃうのはやりきれないです。

「この世界は変えられる」し、「ここではない場所」はきっとある。「視点を変える」だけでも見つかるチャンスはまだあると伝え続けること。希望。

これがわたしにとって、ライターとしての“目標のようなもの”。だから、拓海くんにキョトンとされながらも、思わず言っちゃったのだと思います。

というわけで、みんなはこの質問にどう答えますか?

次は、なんとなく「アジール」に反応しそうな増村江利子さんにバトンを渡したいと思います!

「書くことで目指す目標みたいなものがあるんですか?」


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杉本恭子
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