『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』は「二度とつくれないタイプの本」だった。フィルムアート社・臼田桃子さんインタビュー
2020年6月に、『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)を出版して以来、たくさんのメディアに取り上げていただき、著者としてわたしもインタビューを受けてきました。
でも、ずっと「この本は、編集者の臼田さんと一緒につくってきたのに」という気持ちがありました。もしも臼田さんが声をかけてくれなかったら、わたしはこの本を書くことはなかったからです。
臼田桃子さんは京都大学の卒業生で、学生時代は『京大的文化事典』に出てくるカオスな場所を「遠巻きに見ていた」ひとりだったと言います。そんな彼女がなぜ「京大的文化」の本をつくりたいと思ったのか?ーー著者が編集者にあらためて聴く、メイキング風インタビューをしました。
※ 文中の[ ] 内の番号は本書で扱った項目について、所収の章と項目を示すものです。
「アジール性のある場所」としての京大を描く本をつくってみたい
ーーあらためて本の企画のはじまりから伺いたいと思います。なぜ、この本をつくろうと思ったんですか?
臼田 企画を思いついたのは、2018年6月頃だったと思います。2017年末に吉田寮[4-1]への退去通告があり、翌年5月にはタテカン[5-1](→ためし読み)撤去が行われたという話が聞こえてきていました。京大らしい自由でカオスな文化が失われつつあるのではないかと危機感を覚えたことが本のはじまりです。
タテカンは大事な風景だし、吉田寮は場所の力がすごく大きい。アジール性のある場所は京大の文化的な土壌になっていると思うのですが、そういう切り口で京大を見る本は意外と出ていない。企画を思いついたときは、「あ、こういうテーマの本がまだ出されていなくてよかった。いけるのでは?」って思いました。
私が在学していたのは、京都大学が独立法人化する前後です。それ以降の動きのなかで、変わってきていることもあるだろうから、書き留めておけないだろうかと思ったのがきっかけですね。
ちょうど同じ頃に吉田寮(と思しき場所)を舞台とした『ワンダーウォール』(NHK京都発地域ドラマ、渡辺あや作)というドラマが放送されて、その写真展なども開かれていて、そういった動きにも背中を押される思いでした。
ーーこの企画に合うライターを探されるなかで、今はなきガケ書房の書店員だった梅ちゃんが私を紹介してくれたんですよね。実は、引き受けるかどうかかなり悩んでいました。
臼田 その逡巡は私にはそんなに伝わっていなくて。前向きに快く引き受けてもらえてよかった!と勝手に思っていました(笑)。本当にたまたま、アジールをど真ん中のテーマにしている人に巡り会えてよかったなって。
ーー最初にいただいたメールに「Webサイトのプロフィールに、修論でアジールを扱ったと書いてあったので」とあり驚きました。
臼田 私は大学に長々といて。いわゆる就職氷河期のモラトリアムみたいな感じもありましたが、大学という場所の自由さが本当に好きだったんですよね。京大に限らず、大学は社会のなかではアジールなんじゃないかというのは、ずっと感じてきたことだったんです。
なくなって初めて気づく種類の大切な場所や空気がある
ーー当初の企画段階では、どんな本をつくろうと考えていたんですか?
臼田 「折田先生像」「吉田寮」「西部講堂」「コタツという系譜」など7〜8くらいのトピックをルポっぽい文章で書くという構想でした。その中でも、ただ事象を並べるだけではなくて、それを貫く精神のようなものが伝わるようにしたいと思っていました。「はじめに」(→ためし読み)に書いていただいたような、あのなんともいえない百万遍の、肌になじむ空気みたいなものを捉えたいという気持ちもありましたね。
杉本さんが「事典風に書く」というアイデアと項目リストを出してくれるまで、こんなに膨らませられるとは思っていませんでした。
ーー事典風にするというのはちょっと逃げる気持ちもありました。項目を細分化すれば、ドライに書けるんじゃないかと考えたんです。
臼田 そう言われていましたよね。でも、書いているうちにだんだんパッションが(笑)。出来上がったものは、もちろん客観的に書いてくださっているのですが、杉本さんの芯みたいなものが滲み出てくるものになったと思います。文章も軽妙なところと、言うべきところを言うところが違和感なく混ざり合っていますし、あと各項目の締めの一文がいいなと。企画段階の構想から、すごく深めていただいたなと思っています。原稿を読むまで、知らなかったこともたくさんありましたしね。
ーーたとえばどんな項目ですか。
臼田 西部講堂[2-1]が、実は日本の音楽史のなかでもすごく重要な場所だったというのは、意外と知らなかったことでした。国際高等教育院構想[1-7]についても、「ここ10年程でそんなことになっていたのか」と。
ーー実は、大学院時代のゼミの先生が国際高等教育院構想の反対運動に関わっておられたそうですね。
臼田 はい。本を読まれた先生がメールをくださって知りました。在学時のこともそうだし、卒業後に急旋回しているのはなんとなく知ってはいたけれど、大学全体の動きとして組織的にどう再編されているのかは初めて知りました。
ーー私も取材やリサーチで、初めて知ったことが多かったです。本書に出てくる場所のなかで、思い入れのある場所はありますか?
臼田 「もう一度どこに行きたい?」と言われたらA号館[1-4]でしょうか。A号館は、本当に余白の空間みたいな、なんてことない日常の場所なんだけど、なくなってみるとその大切さに気づく、そういう場所だった気がします。「痕跡」というキーワードもありましたが、建物がもっていた「積み重ねられてきたえもいわれぬもの」が、ただそこにいるだけでも感じられました。
ーー「百万遍の肌になじむ空気」や「A号館に積み重ねられてきたもの」を好意的に受け取っていた人たちの存在の大切さも、実は本書のテーマだったと思います。自らタテカンを立てたりしたわけではなかった臼田さんが、こうした書籍を企画するというアクションを起こしてしまう面白さというか。実際に「何をしていたわけではないのですが」と、わざわざメールで感想をくださった読者の方が何人もいました。
臼田 そうですね。もちろん、主体的に何かしている人たちがいるからこそ何かが起きるんですけども。少し遠巻きに見ている人もその生態系のなかで生活しているから、エッセンシャルなものになっていると思うんですよね。むしろ、タテカンやこたつ[3-2]を風景として見ていた人数のほうが多いわけですし、そういう人に読んでもらえたのはうれしいことだなと思います。
ーー京大を知らない人たちのほうが、自由な読み方をして「自分がいる場にあてはめるとこういうことじゃないか」と、いろんなことを考えてくれるのも面白いです。
臼田 「オンラインによるひろば 本を読む会」に参加してくださった若い学生さんが感想をくださったり、若い人たちに「こういうことがあったと知って元気が出た」と言ってもらえたことが素直に嬉しく、そこに希望があるのかなと。そうそう、企画の出発点として「失われつつある」という諦めの部分も少しあったのですが、5章 受け継がれ生み出されていく空間(→ためし読み)の原稿がそうなっていなかったことに感動しました。
ーー書きはじめる前から、「現在の難しい状況を伝えながらも可能性をどう語るのか」をすごく考えていました。だから「終わらないんだなと思えた」と臼田さんが言ってくれたとき、本当にほっとしました。
臼田 危ういところもあるけれど、失われたわけではなくさまざまなかたちで受け継がれているのだと強く感じましたし、励まされるような感じもしましたね。
「骨太」でありながら「チャーミング」な本をつくりたかった
ーー私は取材と執筆に集中させてもらって、本全体のデザインやレイアウトは臼田さんにおまかせしていました。本のつくりの部分について意識していたことはありますか?
臼田 各項目で描かれる事象の面白さと、根底にある問題意識みたいなもののバランスは気をつけていました。感想を見た範囲では、「骨太だけど面白く読める」という意図はわりと読者に伝わっていたのかなと思います。いろんな人に読んでもらえる、チャーミングさみたいなものが大事だろうなと思っていたので。
ーーチャーミングさ、ですか。
臼田 たとえば、わかりやすく言うと、表紙や章扉のイラストを宮崎夏次系さんにお願いするというのもそのひとつです。そもそもの扱っている場所やお話が面白いですし、それをわかりやすく伝える書き振りになっているので、読み物としても楽しめるはず。そこを入り口に、なぜこういった文化が生まれてくるのかというところを考えてもらえればと思っていました。
ーー宮崎夏次系さんの装画は、本書にまつわる場所やできごとをみごとに表現してくださいましたね。構成をつくった段階で、「脚注をたくさん入れたい」「地図や年表をつくりたい」「各項目間をリンクを飛ばすようにしたい」などとたくさんワガママを言ってしまって。本の装丁とデザインをしてくださった吉岡秀典さん(セプテンバーカウボーイ)、組版をしてくださった藤原印刷のチーム組版のみなさんには大変なご苦労をかけてしまいました……。
臼田 そうなんですよね。最初にご提案いただいたときには、「あ、いいね!」くらいに思っていたのですが、レイアウトに落とし込んでいく時点で「これは大変だ……」と気づきました(笑)。吉岡さんのおかげでうまく整理できました。こういうタイプの本として、150を超える脚注の充実度はマニア心をくすぐる部分になっているのかなと思いますね。
ーー知り合いの編集者の方たちは「脚注こんなにつけるの大変だったでしょう」「320ページぎりぎりでいったね」と驚いてくれました。あと、虫眼鏡ないと見えないような年表は、校正が大変でしたよね……。90年代の卒業生から「老眼にきつい!」とクレームがありました(笑)。
臼田 ちょっと見落としが出て、2刷で直しましたけども。10ページのなかで簡潔かつきちんとまとまった年表はないので、資料的にも価値があるのかなと。本文と年表を照らし合わせていくと、すごく重層的に歴史が見えるしくみにもできたかなと思っています。
ーー京都大学の一部の先生方には“調査研究”として評価いただきました(笑)。
臼田 取材も、文献リサーチも膨大で、これだけの情報量を整理するのは本当に大変だったと思います。最後は、国際高等教育院からA号館の写真を借りたり、元総長の尾池和夫先生にタテカンの画像のご提供をお願いしたりもしましたね。
その流れで「もしよかったら推薦のコメントをお願いします」とゲラを送ったら、ご自身の体験を踏まえて「この本をどう読んだか」を文章にして寄せてくださって。急遽、「あとがき」と「参考文献」のページを圧縮してスペースをつくり載せることにしたんですよね。
ーー京都大学の自治は、学生と自治空間の当事者、そして教職員のみなさんがつくってきたもの。尾池先生のご寄稿(→P314)は、まさにそのことを書いてくださっていて。本書の最後のピースがハマったと感じましたし、すごくていねいに読んでくださったことが伝わってきてボロボロに泣きました。尾池先生と毎日新聞で書評をくださった加藤陽子先生には、「認める」ということをしていただいたと感謝しています。
臼田 本書のなかで、自治が受け継がれていくときに「具体的にどう行われているかといえば、夜な夜なお酒を飲んでいるってことかもしれない」(→P204)って言った人がいましたよね。なんとなく空気を共有して、姿を見ているということが、人が人から何かを受け取るときにすごく大事なことじゃないかなと思っていて。
京大の先生もまた、授業以上に人としての佇まいで教えてくれる人が多いように感じていました。メールだけのやりとりでしたが、尾池先生からもやはりそういう姿を見せていただいたなと思います。
一生に何冊もつくれない「自分の根っこにつながる本」だった
ーー実は、臼田さんにとって本書が今の出版社でほぼ初めての書籍企画だったと今日知りました(笑)。初めて単著を書く著者と組むことに不安はありませんでしたか?
臼田 それは、正直あんまりなかったですね。むしろ、それができることがうれしいというか。「こういう本があったらいいな」という個人的な思い入れのある企画であり、「たくさんの人に読まれうる本になる」というのも信じていて。それを具体的にかたちにできる、杉本さんに書いていただけてよかったなと思っています。
ーーもし、臼田さんが声をかけてくれなかったら、私はこの本を書くことはなかったと思います。振り返ると、本を書いている間ずっと幸せだったなと思います。
臼田 いろんな企画をつくる仕事のなかで、これだけ個人的な問題意識とリンクするかたちで本をつくる機会は、そうそうないのではないかと思います。興味のあることはいろいろあるけれど、自分の根っこに近い部分につながるテーマの企画は、一生に何冊もあるものではないかなと思いますね。
ーーわれわれ二人にとって、二度とつくれないタイプの本だったと思っています。「臼田さんがいたからここまで書けたんだな」と思いながら最終章を書いていて。「あ、臼田さんは本文に出てくるべき人なんだ」と思って、いただいたメールの一文を引用(→P280)しました。異なる時期に同じ場所で過ごした者同士、それぞれの“痕跡”を重ね合わせることで、こんな本が生まれることもあるんだなって。
臼田 そうですね。私のようにぼんやりその場にいるだけでも“痕跡”を感じている人はけっこういると思うので、リアリティもあるのかなと思います。
ーー本当にご一緒できてよかったです。これから、臼田さんはどんな本をつくってみたいですか?
臼田 興味のあるテーマは幅広くあるんですけども、書きたいことのある著者に寄り添ってつくれるような本がいいなとは思います。『京大的文化事典』につながる感じでいうと、「自分たちの場所をどういうふうにつくり、暮らしていくか」を考えて実践している人には興味があります。
ーー臼田さんのこれからのお仕事も楽しみにしています。本当にありがとうございました。長く読み継がれる本になってくれるといいなと思います。
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『京大的文化事典』をめぐる参考リンク
フィルムアート社のサイトで目次などの情報を公開しています。また同社ウェブマガジンで本書の一部を試し読みできます。
巻末でインタビューをさせていただいた森見登美彦さん、ブログで本書をご紹介くださっています。
京都大学吉田寮食堂で行われていたクラブイベント"Club Yoshida"による生配信番組"Club Yoshida Live-streaming"で、昨年8月にお話しさせていただきました。月2回くらい配信が行われており、さまざまなゲストが吉田寮や食堂についてトークした後、かっこいいDJタイムがあります。吉田寮関連の裁判についても随時案内されています。
『好書好日』にてインタビューをしていただきました。ライターは太田明日香さん、写真は平野愛さん。
ライターとしてインタビュー記事を執筆させていただいている「ミラツクジャーナル」で、赤松加奈子さんにインタビューをしていただきました。『京大的文化事典』についてかなり深く話しています。
読書メーターに寄せられたレビュー。いろんな読まれ方をしていただいていてとてもうれしいです。
京都大学の人たちはぜひショップルネの書籍コーナーでお買い求めください。春に向けてたくさん入荷してくださっているそうです(図書館にもあります!)。大垣書店さんや丸善さん、京都岡崎蔦屋書店さんなどの大型書店のほか、ある意味とても”京大的”な匂いもある西陣の書店「カライモブックス」さんも、継続的に入荷してくださっています。
2021年3月18日(金)21時から、京都大学の学生さんたちが「京大的自由のススメ」という企画で、本書を紐解いてくださるそう。どんな風に読まれるのかわくわくしています。
発売以来、いろんな風に読まれて、いろんな人が本の感想を伝えてくれて、今までしたことなかった話をして、一緒に自分たちの場について考えることができたり。すごくしあわせな本として育っていることを、とてもうれしく思っています。あらためまして、さまざまにご関心を寄せていただいたみなさまに感謝申し上げます。
読んでくださってありがとう。「スキ」や「サポート」に励ましていただいています。