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國分功一郎「暇と退屈の倫理学」について
普段、僕たちは退屈を避けながら生きている。
退屈を感じると、無意識に何か作業を始め、しばらくすると退屈を忘れている。
日常の中で退屈は、感じていたとしてもなかなか意識化されない。だから退屈について改めて考えてみようとも思わない。
それでは退屈は考えるに値しないものなのかといえば、そんなことはない。
むしろ現代では退屈について考えないことが不幸を生んでいるとさえ思える。
「暇と退屈の倫理学」を読んで、退屈こそ今自分が直面している問題なのだと気付かされた。
僕たちは無意識に、退屈を恐れている。そこから必死に逃げようとし、退屈を忘れさせてくれる「何か」を探す。現代ではそれは「生きがい」とか「自己実現」と呼ばれたりする。現代の退屈は、不安そして焦燥と結び付いている。
消費社会がもたらす現代の退屈を、「暇と退屈の倫理学」では「暇なき退屈」と呼ぶ。消費の対象は物ではなく意味や観念であり、だからこそ消費には限りがなく、満足をもたらさない。そこでは余暇すら消費の対象になる。
消費社会では退屈と消費が相互依存している。終わらない消費は退屈を紛らすためのものだが、同時に退屈を作り出す。退屈は消費を促し、消費は退屈を生む。ここには暇が入り込む余地はない。(168頁)
不幸を生み出しているのは退屈そのものではなく、退屈を恐れ、そこから逃げようとする無意識の態度なのではないか。
だから現代の不安と焦燥から抜け出すためには、退屈について考え、向き合うことが有効だと思う。僕自身、この本をきっかけに退屈への考えを深めることができ、心が楽になった。
パスカル、ラッセル、ハイデガーといった哲学者が登場し、彼らが退屈についてどのように考えていたかが紹介される。それぞれの哲学者が退屈から逃れるための方法を提示するが、最終的にこの本で出される結論は、他の哲学者のものとは異なっている。
「暇と退屈の倫理学」は退屈を肯定しようとする。そこがよかった。