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プレパラートと地図

通勤の電車から見える河川敷に瀬替えでもするのかというくらい大量の土砂が運ばれていて、内容がわからない作業が進捗するにつれて部分的に川幅が狭くなり流れが速くなっている。
昔部活で川に生息(?)する珪藻の分布を調べていたときに流れの速さによってそれに変化があるかというパラメータがあったのを思い出した。

それは結構地道な作業で、年がら年中顧問の先生のセダンに乗って川から標本の元を採集にいっていたはずなのに細部の工程を思い出せない。
川の石を歯ブラシでこすりながら水をまわしかけてその水を容器にいれて持ち返る。それを試験管にいれて遠心分離機にかけてよごれと水を分離させ、その水をスポイトで別の試験管にわけてから珪藻を観察しやすくするためのクリーニング(たしか市販の洗剤をつかっていたような、、)をする。というそのあたり以降の工程が曖昧になっている。

結果的にできるものはプレパラートと薄いカバーガラスの間を接着剤で固定されている標本になる。肉眼では対象が見えない標本。そのプレパラートをいくつかのパラメータのラベルで整理して標本箱に保存する。

もちろん保存しておくだけでは珪藻の分布はわからないので一枚一枚プレパラートを顕微鏡で観察していくことになる。
それで思い出したのは、カバーガラス越しに顕微鏡で標本を覗き込みながら珪藻をカウントするときに、珪藻やそこに混じったゴミ、細かい気泡の配置のパターンをその都度自分に覚え込ませながら、既にカウントした場所を判別してカウントアップするかどうかを判断していたということだった。重複したカウントをしないためには1枚のプレパラート毎に自分の中に具体的な配置パターン―地図を作っていく必要があった。

普段は川の観察を担当していたけど海の担当の手が回らないときに作業を手伝うことがあった。珪藻の数が川より少なく、配置のパターンがわかりづらくて作業に難儀した記憶がある。「これどうやって数えてんの?」と友だちに聞くことがあったかもしれない。

プレパラートは、標本箱にはりつけたパラメータを記載したラベルと顕微鏡越しにしか標本として機能せず、それを観察していたメンバーの頭の中にはプレパラート毎の地図がつくられていた。
それを思い返すと少しうっとりするような感じがある。そんな気分を当時から感じていたわけではない。この文章を通じてそこに介入した、というときのそこはどこだろう。

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heno
少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。