![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151907707/rectangle_large_type_2_8373431e168778475507f2549e4d5628.jpg?width=1200)
第一回 哲学の勉強会ふりかえり ルソー『社会契約論』 2024/08/25週
こういう内容を普段の週次投稿にしてしまうのは自分でもなんだかなぁ、と思うものの、諸々準備をしてきて開催した勉強会のふりかえり記事。本の内容と勉強会のやり方について、それぞれざっくり整理しておく。
概要
今回の課題本はルソー『社会契約論』第四篇。
おおまかな内容としては、集団の人数が増えたときの意思決定の枠組みだったり、その前提となるような考え方をどう実装しようか、みたいな話。
ルソーが例として出してくるのが古代ローマの政治体制とかの話になりがちでピンとくるまでに少し時間がかかる(&横道の調べ物が必要な)箇所もあるものの、扱っている問題設定自体は時代を問わないものなので色々と考えさせられるところがあった。そういう感想をポイントを絞って書いてみようと思う。
勉強会のやり方については、自分たちが勉強会でやりたいことってどんなことなんだっけ?というのをなるべく言葉にして対話しながら、会自体をチームのようなかたちで運営できないかというのを模索してみた、みたいな話。
これまでにいくつか勉強会に参加するなかで感じてきた課題に対してどう向き合おうとしたか、それは成果(メンバーが勉強会でやりたいことできてる?)につながったのか書いてみる。
そこまで書いてみて、今回は勉強会のやり方の話にはたどり着けなさそうと思ったので、それはまた次回に。
『社会契約論』第四篇の感想
まず率直に、ルソーが扱っているような問題設定というのはわかるなぁ、という感じだった。その問題設定がどういうものか自分なりの言葉で書くとすれば、メンバーが多いと意思決定が大変、ということになる。
しかもその意思決定はおざなりなものではなくて、メンバーそれぞれが考えを出し合って、納得してやっていかなければならない。(とルソーは考えている。)
こういうのは割とありふれた話で、何も国家くらいのスケールした単位でなくても結構大変なことだと思う。
このまま本の筋に沿って真面目に書いていても楽しくないので、試しに自分が学生のときの出来事を書いてみて、そのときの自分に何ができたか考えてみようと思う。
自分が通っていた学校は街らしい街から3つくらい駅の離れた線路沿いの見渡しが林や畑の方が多いかなというロケーションで、大体駅からキャンパスまで歩いて15分弱くらいかかっていたと思う。
道のりに飲食店がいくつかあった、コンビニも時期によってはあったかな、というくらい。学校の敷地についてからもしばらく雑木林を歩いていた記憶がある。
そんな学校に通っていた若いお兄ちゃんたち4、5人が授業が終わったあとに、さてこれからどうしようという話になる。誰かが言い出す。皆んなでご飯食べにいこうか、とか何とか。
ではどこに行こうという話になると、そんなロケーションだったから近くの駅から街のある駅まで移動するにも家の最寄りがその学校の駅の場合もあるし、街についてもどんな店に行くか、雑木林の中を歩いているうちには想像もつかない。不都合なことに、どんな食事をするか考えるのに不向きな場所なのだ。そもそも皆んな食事に行きたいのかどうかもわからない。
結果「どうしよっか」という言葉だけがその場に反響することになる。そのうちに一人が明確な意図をもって歩調を速める。私がその中で一番仲良かった彼はどんどんスピードを速めて、この意志もたぬ集団からさっさと抜けてしまいたいという決意をもってどんどん先に行ってしまう。
その歩調を眺める感覚が、残った者たちを意志を持たないそれぞれに変える。彼らは言葉をもたない。途上それを自分の家への道のりに上書きしてまた一人いなくなる。電車に乗り込んで、曖昧にまた、と言って何人かが降りていく。歩調を速めた彼に次に会ったときにその話はできないけど、そのときは少なくとも次があった。
このとき、その彼が話をひっぱっていったら良かったんだろうか。ルソーはもしかしたら歩調を速めた彼に共感するかもしれない。その集団には欠けている前提があるんじゃないか、と。少なくとも彼はその行為によって"それ"を表現することを試みた。行為が正解であるかどうかではなく、表現した、というそのことによって。
私はまずシンプルに彼らと食事をしたいかを自分の気持ちに問いかけてみればよかったんだろうか。私はそいつと二人で飲みに行きたいと思っていたかもしれない。そこにはそもそも集団がいなかった、もしくは集団というには曖昧だったということになるかもしれない。そう思い出してみると、そのぼんやりした集団のあり方というのは別に嫌ではなかった、たしかにそういう時間があったんだ、という気がしてくる。
思い出すたとえ話を間違えたか、思い出し方を間違ったんだろう。
いいなと思ったら応援しよう!
![heno](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/69677423/profile_e54e47d8b5f731cf045fe1cd40e22791.png?width=600&crop=1:1,smart)