爪先サイズの極小ジェンガ
ものの見え方が偏っている自覚はあり、
「偏光」を戒名にする予定だと、
方々で書き記してもいるので、
誤解を受けても致し方ないとは思っているが、
心は偏らない。
私に限らず、
自分の事を「ひねくれ者」や「へそ曲がり」だと思い、
他人に説明する際にもつい言ってしまう人、
あるいは言わざるを得ない人にも、
ぜひ伝えたいのだが、
心は傷付くし歪むし歪みによって屈折するけれども、
そうした要素も込みで、
心そのものは十全だ。
各人それぞれに、
それぞれの有り様で真っ当だ。
ましてや外側から受けた圧力や攻撃、
時には呪いによっての傷や濁りであるものを、
恥じてやる筋合い自体があるものか。
むしろ屈折率に透過率を武器にしてやる。
武器にしちまおうぜと言いたい。
ところで昨日いきなりにして強力に思ったのだが、
私は絵が描きたい。
描けるような技術は何ら身に付けていないのだが。
歌も歌いたい。
人前で歌えるような技術は以下同文。
小難しい話題に言い回しをやたら好むけれども、
私の内側には我ながら、
おぞましいほどの愛情が満ちあふれている。
自分で言うのも何だがマジでマジで。
そこを今回あえてちょっと明言してみようと思って。
愛されたいがそれ以上に、
この世のありとあらゆる全ての存在を愛したい。
なるべくなら相手側に丁度良い適当さ加減で。
そしてこういった欲望は何も、
いつまでたっても小説家として陽の目を見ないが故に
暴走しているわけでも、
本心では絵が書きたかったし歌いたかった、
愛する家族やもっと多くの友達が欲しかったものを、
「お前ごときに出来るものか」と笑われ続けたがために、
仕方なく文章が好き、
という事にしたわけでもなさそうだ。
私は紛れもなく文章マニアだ。
そしてマニアという生き物においては正直に言って、
誰のどういった対象物であっても構いはしない。
文法的正しさも、
日本語としての美しさも読みやすさも気にならず、
ただある人物群のその状況を表すに、
単語選びに文字並びに文章構成の全てが、
可能な限り最適である事を望んでいる。
言うなれば、
爪先サイズの極小ジェンガを、
隙間無くぴっちり積み上げる快感だ。
ここまでを書いて私は確かに、
今現在はいざ知らず、
往年のプログラマー業には向いていたなと思えたので、
明日は「プログラムも物理であり有機物である件」
について書こうと思う。