今の時代の『生きのびるための事務』って?毎日暑すぎです。
『生きのびるための事務』を読んでから、「今の時代の生きのびるための事務」ってどういうことなんだろうと、時々考えている。
例えば、今も外を眺めると連日の猛暑だ。「停電したら死ぬなぁ」って、ここ最近毎日のように思う。
て思っていたら、主人がまさにこんな動画を見てた(笑)。
防災士の資格の勉強中。(#得意分野)
この人の動画、防災を考えている人は是非!
そしてこの養老孟司さんのお話。
養老さんが以前、都会の人たちは田舎に「疎開先」を持つのがいいと言ってて「その通りだな」と思ったことがあった。上の話のように、長い人生1年に1ケ月ぐらい自由な時間が持てないような社会ってどういうこと?と私もよく思う。こういうことも「生きのびるための事務」を考えれは可能なはずなんだけど・・・。
そういうこととは別に「今を生きのびる」ためにも「疎開先を考える」というのは本当に生きのびるのに必須だと私は思ってる。特に最近は。
これからは養老さんが言う「参勤交代」がたんなる「体験」にとどまらず、実際私たちが少しずつ自分の身体を使って、自分たちが住んでいる環境を整えるということが必要になるはず。公共事業というか、行政が出来ることは限られているし。これからは頭を使うことはAIがやってくれる?ので、そのAIや新しい技術を使って今の自分の周囲の環境を保つためには、自分たちで、その場所を整えられなければ、住めなくなると思う。インフラもたないしなぁ。何か災害があって、それから「疎開先」を考えても難しい。
つまり今私が身体が動いて活動できるなら、日本の中で夏でもエアコンなくて生きのびられそうなところを探して、気の合う仲間と一緒になるべく自給自足で「ひと夏」生きられるようなことをやってみたくなる。「生きのびるためのゲーム」みたいな感じで。
地方は過疎化している。でも日本の国土はまだまだ環境に恵まれている場所は多い。日本には「黒ボク土」と呼ばれる肥沃な土がかなりある。世界的に見ても日本は土に恵まれているとTVで聞いた。土と雨に恵まれた土地は、ほっといても作物が育つ。もちろんその土地に合ったものだけど。でもそれは恵まれていること。これからの「生きのびる」はこれまでの「お金を稼げたらOK」とは絶対にならない。お金と交換できなくなるものが大量に出てくるはず。なら、楽しく生きのびるにはどうする?
先日たまたま見ていた動画で東大の松尾教授が、AIの時代の学校での学びは、AIを持って外に出て、住んでる地域の問題解決をするみたいなのが一番いいのではということを話されてた。
『生きのびるための事務』で思ったのも、これからの「生きのびる」は、小学生でも今の大人以上に地域の問題解決ができるはずで、それが本当の「生きのびる」だと思った。多分、いや必ずこの先、子供から大人まで、自分たちで具体的な何かを、問題解決をゲームのように楽しみながらやっていくことが出来る人が生きのびるのだと。
生きのびる方法は、人によって違う。自分の生きのびるを具体的に考えてみようとすると、やっぱり今出来ることをするという答えしか出ない。単純に命を長らえるというのと、「あー、楽しかった。満足」と思えるようにするため生きのびる方法は違う。とすると、やっぱり私の場合、今のところの答えは、今出来る楽しいと思えてかつ、まぁ少し生きのびることが出来ればラッキーという感じか?よく考えるのは「どこで諦めるということを覚悟するのか」ということ。「諦める」という言葉が適切かどうかわからないけど、それをしないとなんだか楽しくは生きられない気がしている。まだ言語化できないけど。
毎日とてつもなく暑い。
今停電なんかしたら、生きてられないなぁなんて思いながら今日も生きてる。でも本当はそんなこと思いながら生きるなら、私ももう少し具体的に、今やってることが本当にこの先やり続けなければいけないものかを点検しないといけないんだろうなぁ。でも私はここから動くのが難しい🤔。
「老いた」とは思ってないけど(笑)、他にうまい表現が・・・。