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『草木国土悉皆成仏』梅原猛。哲学するとは、どういうこと?

以前から気になっていた・・・というか、仏教用語だと思うけど、どこから来てる言葉なんだろうと、この言葉を見かけたとき思うのだけど、調べることもなく・・・。

まだ読んでいない本を電子書籍の中から探していたとき、すっかり忘れていた梅原猛氏のこの本に気づいた。

目次を眺めていて見つけた。

草木国土悉皆成仏  
さて、私は、日本文化の中核的な思想として「草木国土悉皆成仏」という天台本覚思想を指摘しました。日本文化の思想は、この言葉によって十分説明できる。この「草も木も、国土もすべて仏になれる」という思想は、縄文時代以来の日本文化の特徴を示す思想ではないかと私は考えます。

『人類哲学序説 (岩波新書)』(梅原 猛 著)より

そして、この本の最初には。

哲学とは「人間はどう生きるべきか」を自分の言葉で語るもの  

人類哲学というものは、いままで誰にも語られたことがありません。人類ではじめて、私が人類哲学を語るのです。これまで、人類には人類哲学がなかった、と私は考えています。哲学はギリシャで生まれ、近代西洋で発展したものです。しばしばインド哲学、中国哲学などと言われますが、それはインドあるいは中国思想について類比的に語られたもので、厳密な意味の哲学とは言えません。哲学は、ギリシャから近代西洋にいたる地域的特性に偏していて、普遍的な人類の立場に立っているとは言えないのではないでしょうか。  

私は、タイトルを「人類哲学序説」といたしました。この言葉は、「人」、「哲学」、「序説」、この三つの言葉からなります。「人類」についてはこの講義全体から理解していただき、「序説」については「あとがき」で説明いたします。  まず「哲学」です。哲学とは、愛知(フィロ・ソフィア)「知を愛する」ことでありますが、これは、ただ漠然とした好奇心というのではありません。もっと厳しいものです。
知というのは、真実を明らかにする、ということです。真実を明らかにする知を愛する。その知というものは、ある種の歴史性を持っている。また、普遍性を持っている。哲学とは、歴史のなかで人間はどう生きるべきかと問い、その思索を体系化するものです。しかも、それを自分の言葉で語る必要があります。

『人類哲学序説 (岩波新書)』(梅原 猛 著)より


哲学は、ギリシャから近代西洋にいたる地域的特性に偏していて、普遍的な人類の立場に立っているとは言えないのではないでしょうか。  

そう、これなんです。
若いころ「ソフィーの世界」を読んだ時の「ウーン、何を言ってるのかわからない~ッ」という感じ。

そして最近、激しい技術の変化が起きている中で「日本文化・歴史」というものを、もう一度しっかりと知りたいと思うようになった中、「哲学って何?」と考えてみれば、当然この疑問になります。

哲学というものが、自分の言葉で「人間はどう生きるべきか」を語るものなのですから、私が生きてきたこの風土の中で、私がこの世界を認知するために日々使っている「日本語」を使って考えるしかない。

この国の歴史と文化に育くまれ、日本語を使って思考しているのですから、私の哲学は西洋にはあるはずがありませんよね。

西洋を知るための知識として、自分たちの違いとしての「西洋哲学」を学ぶことはあるでしょう。

でも、私の哲学は私が生きて、思考しているこの言葉で考えて語りたい!
なんか、そういうのが「生きている!」って感じ。

私が父の書棚で見つけて読み始め、本当に凄い人がいると思った梅原猛氏。

こんなに明快に私の疑問に答えてくれていたのを見つけて、今とても嬉しくてこのnoteを書きました。
(まだ最初と最後しか読んでないのに  ^^;)


自国の大切な文化を発信するため、レジャバ大使もSNSを大使になってから始められたそうです。
今のジョージア国内が大変なのが気にかかります。