今日のnoteは私の「気づきの備忘録」。
多分30代の頃読んだ「ソフィーの世界」という西洋哲学の入門書。
それを読んで感じたのは、「日本人とは違う世界観?」の表現に違和感というか、体感として理解が難しいと感じた理由が、この本を読んで納得したというお話。
全く違うと思いました。
西洋哲学と日本の古代の人たちの「世界」のと捉え方、感じ方、表現の仕方が。
そして今は、日本古来の感覚とは違う、西洋から来た哲学や文化、そして今の時代の複雑な社会のシステムの中で私たちの心は相当疲れている・・・・。
私はこの万葉の歌人の意識の表現を読んで、とてもしっくりときました。
万葉の歌人たちの心は、「見えている自然に付託することで、意識が成立する?」ということなのでしょうか。
見えている自然と自分の意識の結びつき、交わりは、解きほどくことが不可能なほど絡まり合っているとも筆者は述べています。
ChatGPTに聞いてみます。
Q.
「自分の意識を周囲の自然物に付託する」という表現をした場合、それはどういうことだと思いますか。哲学者としてお答えください。
この本では、次の「古今和歌集」の時代では、歌人の意識が変化してきていることも述べられています。
そして現在の私たちはまた違ってきているとも思います。
でもやっぱり西洋哲学の「意識」のイメージとは違う。
いや、もしかしたら西洋の人たちも今は、日本的な意識の感覚に共感する人も多いのではとも最近は思います。
四国遍路に来られる海外の方は、日本文化に惹かれ、共感されているのが解ります。
冒頭のChatGPTの履歴は、『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』を読んでいて、私が感じた日本人の意識と西洋哲学にみる意識の違いを考えてみたくてChatGPTと会話したものです。
私がイメージしていることをかなり表現してくれています。
が、もちろん実際にこの本を読むことをお勧めします。
(ChatGPTに、日本の文学や古典の情報を聞いてもダメみたい😂)
「日本的なものごとの捉え方」については、西洋や日本以外の文化と比較してみないと理解できないものだと、この本を読んでいて思いました。
この中の最後にChatGPTが「まとめ」として解説してきたものを下記に引用します。
今週の伊藤穰一「変革への道」Podcast。