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無印良品から学ぶAIとの向き合い方:「空っぽ」から再考するテクノロジーの未来。「理屈」ではなく「美学」原研哉 x 伊藤穰一

「とんでもない進化」をこれからも続けるであろう「コンピュータ」と、その進化にともなって成長を続けるAIを、人間がこの世界でどのように扱うことが、この世界を破滅させないために必要か。

それは「理屈」ではなく「美学」。

Joi 
*(AIをこの先どのように扱うかということに関しては)東洋と西洋の戦い。
西洋の人はほぼ全員、AIは独立させてはいけなくて、ある研究者は25%の確率で「人類は滅びる」と。AIに乗っ取られて。AIとは根本的に哲学が違うから。

東洋は「いいAIを作って、一緒に生活する」。
西洋は「AIを絶対にコントロールしたまま、人間に従わせて、独立させてはいけない」と。

*(文中の「独立」の意味は、Podcastで語られています。自立型で人間を補助してくれたり、サービス提供してくれるような「一緒に生活するAI」にするには、やはり独立的に賢くないといけないということなのでしょうか)

*()内は、私が補った

私はChatGPT3.5が世界中で使われ始めたとき、Discordコミュニティに参加していたことで、メンバーの人たちがこのAIを使うのを見て、ChatGPT3.5から使い始めました。
そしてこのnoteで「哲学」とか、「歴史・文化」そして落合陽一氏の「デジタルネイチャー」に興味を持って本などを読みこんだのは、このAIの発達を「目の当たり」にしたからです。
「大規模言語モデル」という、「大量のデータ」を読み込ますことで、人間の脳の「ニューラルネットワーク」を模したようなシステムが、自動的に学習していく。もう人間と話しているのと変わりない感じ。

私も最初は「このAIを人間はコントロール出来るのだろうか」という疑問と不安が大きかったです。
私は「Discordコミュニティ」の中でも、AIを使い始めた頃の不安のようなものを投稿しています。メンバーの人たちともこのことについていろいろと意見や感想が出ていました。

そんな中知ったのが落合陽一氏の「デジタルネイチャー」の研究です。
この内容については、私のnoteの中でも記事を書いています。

「計算機」が進化し、AIが進化するということは、それはもう私たちを取り巻く「自然」と「AI・コンピュータ」が作り出すものを「分けて考える」などということは、不可能だということ。
一番解りやすい例としていつも思うのは、生命の設計図DNAも、コンピュータで作ることも出来るし、それを実際の自然に写すことも可能。コンピュータシミュレーションの世界は、「本来の自然」と既に干渉しあっている。

西洋的な考えは、近代の「科学技術」の進化には、大きな発展をもたらすことになります。
米国でも活動されていた鈴木大拙氏の『東洋的な見方』に、このような表現があります。

科学では、あるいは哲学でも、この「わかったような、わからぬもの」を無視していく。無視しないと、二分性の考えのように、はっきりしないで、勘定の邪魔になる。数学的に計算ができなくなるからだ。
西洋の人が、東洋の人々のように、「ぼんやり」したことを嫌うのは、科学的二分性を、一番大事なものとするからである。

『東洋的な見方 (角川ソフィア文庫)』(鈴木 大拙 著)

しかし、鈴木氏はこの西洋哲学だけでは、この世界を人間が生きていくには、足りないものがあると。それを補うのが「東洋的な見方」だと。


私自身ずっと「物事を考えるには論理的でなければ」と思っていたタイプです。多くの人が「論理的に話したい」と思っているのではないかと。
宇宙とか、技術進化のことを考えるとき、「明確になっていること」「人間の頭で考えて論理的であること」を出発点にして思考を積み上げることが、科学の進化だというイメージです。

でも、それはあくまでも、「解らないことがまだまだあるけど、それは今解らないから置いといて、解ることから始めよう」という態度だと思っています。

西洋での「これからのAI」についての発言で解らないのは、AIが進化したら、本当にすべてが解って?、「人間にとって幸せ」をもたらすものそのになると思っているのかということ。
しかもそのAIを人間がコントロールするという・・・。
それじゃぁ、その人間の幸せが世界の人の幸せだと言うの?

メサイヤコンプレックス

日本語でいうと、救世主妄想。他者や世界を救済しよう、救おうという欲求と強迫観念のことを指すそうです。自分に自信がなく、自己犠牲をしてまで人を助けることに生きがいを感じてる人のことだそう。


こういうことを、ここ1年ほど考えながらnoteを書いていると、今回のPodcastで話されている今の西欧諸国のAIに対する考え方は、ある意味私たち東洋的思想・哲学からみると「傲慢」に見えてしまう。
だって、この世界・自然を自分たちでコントロールすることが、この世界にとって一番だと思っているみたいだから。

それでも今の「大規模言語モデル」のようなAIとは違う、今よりも賢いけれど、もう少し低いコストで運用できるAIが開発される可能性もあるそうです。
そうすれば、日本独自、東洋的思想の「自然と共存する」、「独立」した、自律的なAIも可能になるのでしょうか。

とにかく、私には今の世界で起きていることを見ている限り、彼らがコントロールするAIにコントロールされたいとは思わない。

Podcastでは、そうならないために日本から何を、どのように発信することが必要かの話が、原研哉さんとの対談の中にあります。

お二人のお話は、次週に続きます。

人間の知能とはという根源的な問いに、日本の感性から切り込む

ここからはシナダがお届けしてまいります。 AIの発展、すごいですよね。先週までできなかったことが、週が明けるとできる様になっている。今までの苦労は一体なんだったんだと思わざるを得ない毎日です。そうすると、「っていうか、頭がいいってなんなんだろう。というか人間ってなんなんだろう」と知性や知能そのものが一体なんなのか分からなくなってきますよね。

Joiさんが"Designing the new digital sensibility"*1 を掲げ研究を続けてるのは、この根源的な問いに、東洋的思想や日本ならではの感性から突き詰めたい!ということなのでは、と感じています。

今回の原研哉さんとのお話、とっても深く、そして面白い。AIと日本文化がこんな風につながるのかと、自分で企画しておきながら「は!」っとする瞬間がいくつもありました。

今週から3週に渡り、日本ならではの感性という深い深い海を泳ぎます。お楽しみに。

*1 Designing the new digital sensibility:新しいデジタル感覚をデザインする

Joi Ito's Podcastより

仏教の「空」について、落合陽一氏の「デジタルネイチャー」の情報が学習されているChatGPTのBot「ochyaiNote」と会話したものです。
ちょっと面白い。

そして今回のテーマの中にある「空」とは違うけれど、以前日本特有の「間」について、落合さんが話した内容を参考に「オブジェクト指向」で表現する?「間」とは?について、これも「ochyaiNote」と会話したもの。


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