Discordコミュニティを一年体験してみて感じる「自分のキャラクター」とは。
痛みから退職した後、人と日々関わることが減り、それが当たり前の日常を長く過ごしていた私は、「今の自分とは違う表現をする自分」というようなことを考えることはありませんでした。
家族と話すときの自分、会社などでの自分、親としての顔、子供としての顔、相対する人によっても、接し方が変わるということは普通です。
もちろん私もそうなのですが、会う人が少ないと、この変化も少なくなるという、まぁ当たり前のことなのですが・・・。
コミュニティに入り、ほぼテキストだけの会話でコミュニケーションを取っていた私は、長く自分のキャラクターのほんの一部しか出せていなかったのだと、強く感じました。
そして、違う自分を表現出来ることが、私にとってとても大切なことだと気づきました。
「私が人と元気に会話している・・・」
そのことで涙が滲んてきたとき、「私、こんなに人と話したかったの?」と。
それまで、そこまで自分の中にそういう気持ちがあるとは全く思っていなかったのです。
あまりにも当たり前に長く続いてきた日常だから?
私の場合、コミュニティでテキストでの会話を繰り返す中感じていたのは、「子供の頃の自分」や「仕事をしていた頃の自分」という、長く表現することの無かった「自分の違う側面のキャラクター」が現れてきたという感覚でした。
子供のような「なんで?なんで?」という好奇心や、会話することで、元気に飛び跳ねるような心持がテキストで素直に表現することの楽しさ、心地よさ。気持ちがとても明るく元気になる感じ。
「自分じゃない自分」という感じではなくて、「今まで忘れていた自分」
そういうものが、Discordでの繋がりでキャラクターとして立ち現れてくることでリアルも元気になれる。
でも、もしかしたら、全ての人が「繋がる相手」が変化したとき、思ってもみなかった自分の側面(キャラクター)に気づいたりして・・・。
それは現実世界より、アバターの自分で人と関わる方が、より強く発現するのかもしれません。
一年前、私の日常を大きく変えてくれた「Joi Ito's Podcast 変革への道」
ファーストシーズン最終回は、Joiさんの妹、伊藤瑞子さん。
そして最後にこのPodcastを聴いた私の感想を、コミュニティ一年の記録として載せておきます。
このnoteのヘッダーの背景は、CanvaのAIで作成。
アバターデザインは、私。
私のアバターが着ている服のデザインは、メンバー。
私の中には、他にどんなキャラクターがいるのでしょうか。
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