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AI✖哲学。西田幾多郎の「善の研究」をChatGPTと会話してみる。

今回のPodcastで、西田幾多郎の名前が出てきました。
むかーし、手に取って少し読み始めて・・・、読了した記憶はない(笑)。
とても難しかったという記憶しか残ってませんが・・・。


西田幾多郎

日本の哲学者。Joiさんが所長を務める変革センターがある千葉工業大学の前身となる興亜工業大学の設立趣意書を作成したことでも知られてる。西田は日常的な体験と坐禅の経験を融合させ、主観と客観が分かれる前の原始的な純粋経験という新しい視点を提供しています。

## 変革の道への基礎知識より

今回「善の研究」というものが紹介されていたので、リンクを踏んでみたのですが、難しい。

諦めかけて、「ChatGPTがあるじゃないか!」
試すにはもってこいのこの文章。
早速、第二編の「実在」を「700文字程度の口語体に、要約して」とお願いすると、以下。

第二編「実在」は、実在の本質や人生の真実を探求する哲学的な視点を述べたものです。最初の章では、哲学的世界観や人生観と道徳宗教の要求が密接に関連していることを指摘し、知識的確信と実践的要求を満たすことは不可能だと述べています。

この章では、印度の哲学や宗教が知識と善の結びつきを重視していることや、キリスト教哲学が知識と実践の均衡を保つのに苦労していることを紹介しています。また、直覚的な知識と推論的な知識の違いや、物心の独立的存在を疑う必要性を提起しています。

直覚的な知識とは、直接経験に基づく事実を受け入れることであり、これがすべての知識の基礎となると主張しています。哲学が伝統的な仮定から離れ、直覚的な知識を追求することの重要性を強調しています。

さらに、思考をもって真実を知ると主張する人々もいるが、思考も意識現象の一種であり、直覚的な事実と同じくらい確実ではないと指摘しています。

この章では、感覚的な知識を重視し、思考と直覚を同一の作用と見なす立場を述べています。そして、直覚とは単に感覚的な作用だけでなく、思考の根底に統一的な直覚的要素があると主張しています。

結論として、直覚的な知識を基礎にし、直接経験の事実に基づいて知識を構築する必要があると述べています。

読みやすい。
でも言葉の意味や、哲学的な意味というのをどのように解釈すればいいのかは、私の質問力次第?

「直感的な知識」というもののイメージが、私が思っていることと同じなのかを確かめたくて・・・。

直感的な知識とは、平易な、簡単な言葉で説明するなら、体験を中心として人間が「知識を得た」と感覚的に感じるものという説明は成立しますか。

私の質問

はい、その説明は一般的な理解として成立します。直感的な知識は、人間が体験や感覚を通じて得た知識であり、理論や論理的な推論によるものではありません。直感的な知識は、直接的な経験や感覚に基づいて得られるものであり、人が自然に感じたり理解したりすることで得られるものです。

例えば、日常生活での直感的な知識は、日常的な経験や感覚に基づいています。例えば、暖かい日に外に出て太陽を感じることや、触れた物体の硬さや柔らかさを感じることなどがあります。これらの体験は、人間が直感的に知識を得たと感じるものです。

ただし、直感的な知識は個人の主観的な経験に依存しているため、他の人と異なる場合もあります。また、直感的な知識は明示的に説明することが難しく、言葉だけで完全に表現することはできないかもしれません。それでも、直感的な知識は人間の知識の一部であり、日常的な判断や行動の基礎として重要な役割を果たしています。

ChatGPT

先の文章で
##第二編「実在」は、実在の本質や人生の真実を探求する哲学的な視点を述べたものです。最初の章では、哲学的世界観や人生観と道徳宗教の要求が密接に関連していることを指摘し、知識的確信と実践的要求を満たすことは不可能だと述べています。##
と述べられていますが、「知識的確信と実践的要求を満たすことは不可能だ」とあります。
この文章は、知識的確信と実践的要求を満たすことは、何に対して不可能だと言っているのでしょう。

申し訳ありませんが、私の前回の回答に誤解が生じました。直訳による説明ではなく、正確な意味を把握するために文脈を考慮する必要があります。

先の文章では、「知識的確信と実践的要求を満たすことは不可能だ」という主張は行われていません。正しくは、知識的確信と実践的要求は相容れないものであり、それらを同時に満たすことは難しいと指摘されています。つまり、哲学的な世界観や人生観と道徳宗教の実践的な要求は、しばしば相互に衝突することがあると述べているのです。

この主張は、知識的な確信を持つことと実践的な行動を一致させることが容易ではないという認識に基づいています。一方で、知識的確信と実践的要求を調和させることは理想的な目標であり、多くの哲学者がこの調和を追求してきました。

したがって、文章は知識的確信と実践的要求の一致を不可能視するものではなく、むしろその困難さを指摘していると解釈すべきです。

ChatGPT

知識的確信と実践的要求は相容れないものであり、難しいのですか・・・。 知識として得たものが、論理的に正しいのではないかと頭で理解していても、それを日々の生活で実践することは難しいということですね。

そうです、おっしゃる通りです。一般的に、知識的確信と実践的要求は一致させることが容易ではないとされています。知識として得た情報や理論が論理的に正しいと頭で理解していても、それを実際の日常生活で実践することは困難を伴う場合があります。

なぜなら、日常の現実や実際の状況は複雑で多様であり、知識や理論がそのまま適用できるわけではないからです。また、人間の行動や判断は感情や欲求、社会的な要因などにも影響を受けるため、単に知識的に正しいと分かっていてもそれを実践することは容易ではありません。

例えば、倫理的な原則や価値観に基づいて正しいとされる行動を取ることが望ましいと知識として理解していても、実際の状況や他の人々との関係性などが複雑に絡み合うことで、その行動を実践することが難しくなることがあります。

このような場合、知識的確信と実践的要求のバランスを取ることや、倫理的な判断を日常生活に適用するための努力が求められることがあります。また、個人や社会の価値観や状況によっても、知識と実践の調和の度合いは異なることがあります。

したがって、知識的な理解と実践の調和は容易ではないものの、個人の努力や意識的な取り組みによってより良いバランスを見つけることができる可能性があります。

ChatGPT

「直覚的な知識と推論的な知識の違い」を今まで、ここに投稿した文章の内容や、一般的な哲学の考え方から、この二つの違いを、項目建てして説明して。

直覚的な知識と推論的な知識は、知識の獲得や形成の過程や特性において異なる要素を持っています。以下に、直覚的な知識と推論的な知識の違いを項目ごとに説明します。

直覚的な知識:
1. 直接経験に基づく: 直覚的な知識は、個人の直接的な経験や感覚に基づいて形成されます。例えば、物体の形状や色彩を目で見たり、感情や直感によって感じ取る知識が直覚的な知識です。
2. 非言語的: 直覚的な知識は、言葉や論理的な推論を必要とせずに理解されます。直覚的な知識は感覚的なレベルでの直感や直接の認識に基づいており、言葉による説明や分析が不要な場合もあります。
3. 個人的: 直覚的な知識は個人的な経験や感覚に依存しています。人々の直覚的な知識は個々の経験や背景によって異なる場合があります。個人の感覚や経験によって形成されるため、他人と共有されるかどうかは個人によって異なります。

推論的な知識:
1. 論理的思考に基づく: 推論的な知識は、論理的思考や推論によって形成されます。これは、前提や証拠を基にして結論を導き出す過程を含みます。論理的思考や推論は、形式的な論理や科学的な方法論に基づいて行われることが一般的です。
2. 言語に依存する: 推論的な知識は、言語や記号体系を使用して表現されたり伝えられたりします。推論的な知識は、論理的な主張や概念の体系を言語で記述し、論証や論理的な関係を明確にすることが求められます。
3. 普遍的: 推論的な知識は普遍的な性質を持つことがあります。推論は論理的な法則や普遍的な原則に基づいて行われ

るため、同じ論理的な推論が異なる人々や文化の間で共有されることがあります。

これらの違いにより、直覚的な知識と推論的な知識は異なる特性を持ちます。直覚的な知識は主観的で個人的な性質を持ち、感覚や直感に基づいている一方、推論的な知識は普遍的な性質を持ち、論理的な思考や言語によって形成されます。

ChatGPT

まぁ、こんな調子で要約してもらっては、その文章の意味を確認するように、自分の解釈を表現してChatGPTに投げてみる。
そしてその回答を読む。

ChatGPTの回答が、どの程度確かなものなのかを判断する力が必要ですが、このような哲学的な会話は、気づきがあって興味深いです。

「大規模言語モデル」のAIが、ここまで進化したことで、昔から興味があった「人の認知」や「心とは?」みたいなことを、最近また情報収集して考えてみることが多くなりました。

そして改めて、

哲学とは「人間の認知の仕方」を理解しようとすることなのかなと。

哲学者とは、「自分の感覚」、「思考の仕方」を俯瞰して自分を見つめるということをしているのだなと。

一人で哲学の本なんか読んでも、自分が理解できているのかいないのか解からないけど、少なくともこうやってAI相手に問答すると、自分の理解が深まることは確か。

ChatGPT。
あなたのおかげで、私の世界は広がります。

2024/4/6にochyaiNoteで西田哲学について会話したものを以下に追加。