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これからの社会は「DAO」が「センス・オブ・ワンダーを育む場所」となるのかな。私が子供のころ・・。

今日は本の紹介。
そしてこれからの子供たちの「センスオブワンダー」はDAOというコミュニティの中で育まれるのでは!と思ったので、DAOの紹介!



1.『センスオブワンダー』
(レイチェル・カーソン, 森田真生, 西村ツチカ 著)

「子どもたちの生を祝福する心優しい妖精に、なにか願いごとができるとするなら、私は世界中のすべての子どもたちに、一生消えないほどたしかな「センス・オブ・ワンダー(驚きと不思議に開かれた感受性)」を授けてほしいと思います。それは、やがて人生に退屈し、幻滅していくこと、人工物ばかりに不毛に執着していくこと、あるいは、自分の力が本当に湧き出してくる場所から、人を遠ざけてしまうすべての物事に対して、強力な解毒剤となるはずです。」

『センス・オブ・ワンダー』
(レイチェル・カーソン, 森田真生, 西村ツチカ 著)より)

「センス・オブ・ワンダー(驚きと不思議に開かれた感受性)」

この本を読みながら、ときどき目を閉じて子供の頃の記憶の中の光景を思い浮かべます。
確かに今の私の「好奇心や感受性の元」になった経験がこの時代にあったのだと。

仕事に忙しい父と、夏休みの朝早く近くのお城に虫をみつけに散歩に出た日の記憶が鮮明にあります。

朝早い昇ってきたばかりの太陽の光で、周囲はキラキラと澄んでいます。

私の人生で一度だけ出会った「玉虫(タマムシ)」。

小学生の私は、この虫の色の美しさにこの日の記憶が鮮明に残ったのでしょうか・・・。

私の小学生時代はまだ住宅地の周囲に田んぼが多く残っていて、車も少なく、子供たちだけで遊び回れる環境がありました。

このころ「ベルマーク」というのがありましたよね。(今もある?)
これを集めて「顕微鏡」をもらいました。
田んぼの水の中の生物を観察したとき、ミジンコのお腹の卵が孵化して、孵化したばかりのミジンコを、親ミジンコと一緒に偶然観察した記憶も私にとっては宝物です。




今思うと、「子供たちだけで安全に遊べる空間」というものがとても貴重だったと思います。
ただ、子供の私たちが気づいてなかっただけで、周囲の大人たちはさりげなく見守ってくれていたのでしょう。


子供の頃の「驚きと不思議の記憶」
「月」に関して、森田さんが書かれているのを読みながら私も「月」を見ての感動はいろいろとあることを思い出しました。

私の部屋は二階にあって、窓からは「田んぼ」が広がる景色。
田植え前の一瞬、水が引かれた夜の「田んぼ」に上ってきた満月が映っていたのです。

風が無く、田んぼの水は全くさざ波立っていないことで「鏡」のよう。
そこに映る満月と、空の満月。
とても明るい月夜。
これを見たのも一度きり。
時々思い出す光景。

他にも思い出してきました。

田んぼ一面のレンゲソウ。

勝手に田んぼに入って、レンゲの花の中に寝頃がって空を見ると、レンゲの花は視線の上にあって、空を「レンゲの花が縁取る」。


周囲の「田んぼ」は、子どもたちにとって最高の「遊び場と体験の場所」だったことを、あらためて今思い出しています。

外での遊び以外で今の私に影響があったのは、やはり両親の仕事からくるものです。
家には「足踏みミシン」を始め、縫物の環境がありました。
手作りするのは、小さなころから好きで、小学校に上がる前に、母から「毛糸」と「かぎ針」をもらって、好き勝手に編み始めていた記憶がはっきりあります。
刺繍をしたり、自分で考えた財布を作ったり、縦笛を入れる袋は、自分で考えて編みました。

「センス・オブ・ワンダー(驚きと不思議に開かれた感受性)」

この感受性を豊にするのに必要だったことは何だったのだろうと本を読みながら考えてしまいました。
体験そのものも大切だけど、子供時代、自分のことだけに夢中になれる環境がとても大切だと思っています。

子供が始めた「一人遊び」を夢中でしている時は、一切邪魔をしない。


金銭的に余裕がある家ではありませんでしたし、寝たきりの祖母の世話も大変でした。
子供なりの「辛い」「悲しい」もあります。
でも今思うのは、子供の頃の心の中に「不安」というものは無かった。
というか、今の私の記憶には残っていない。

2.『普通をずらして生きる――ニューロダイバーシティ入門』
(伊藤 穣一, 松本 理寿輝 著)

さて、二冊目のこの本。

「ニューロダイバーシティ」という言葉を聞かれたことはありますか?

【内容紹介】
人と話すのは苦手でも、絵やダンスで思いを鮮明に伝えられる人がいます。

ちょっとした音や光で激しく動揺してしまうけど、心が休まる環境さえ与えられれば、高度な計算やプログラミングにずば抜けた能力を発揮する人がいます。

ーー発達障害や自閉症と診断される「非定型」な人は、「標準的」な能力を持つ人とは違うとして「区別」されてきました。しかし、これからは両者が「混ざる」ことでこそ社会が変化します。

脳神経の多様性、すなわちニューロダイバーシティのありかたを教育に実践する二人が語る多様性社会の最新デザイン。

これからの教育から地域社会、組織を前進させるための、「普通」をずらしていくドキュメントです。

【著者紹介】
[著]伊藤 穰一(いとう・じょういち)

1966年生まれ。ベンチャーキャピタリスト、起業家、作家、学者として、主に社会とテクノロジーの変革に取り組む。2011年から2019年までは、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの所長に奉職。非営利団体クリエイティブコモンズの最高経営責任者のほか、ニューヨーク・タイムズ、ソニー、ナイト財団、マッカーサー財団、ICANN、Mozilla財団の取締役を歴任した。2023年より千葉工業大学学長。

[著]松本 理寿輝(まつもと・りずき)

1980年生まれ。2003年一橋大学卒業、博報堂入社。不動産ベンチャーを経て、かねてからの構想の実現のため、2010年ナチュラルスマイルジャパン株式会社を設立。認可保育所「まちの保育園」、認定こども園「まちのこども園」を都内6箇所にて運営。保育の場をまちづくりの拠点として位置づけ、豊かな社会づくりをめざしている。レッジョ・エミリア・アプローチ国際ネットワークの日本窓口団体「JIREA」の代表もつとめている。

【目次抜粋】
序章 ニューロダイバーシティとは何か?
第1章 「変わってる」を肯定する保育園
第2章 ダイバーシティはなぜ必要なのか
第3章 「孤育て」から「共育て」へ
第4章 「ニューロダイバーシティの学校」を作る
第5章 web3はニューロダイバーシティに何をもたらすのか
終章 「経験」が求められる時代へ

普通をずらして生きる――ニューロダイバーシティ入門』
(伊藤 穣一, 松本 理寿輝 著)

私は外からもたらされるモチベーションを、称賛と報酬により自分自身のモチベーション、つまりは内在的動機にすり替えるプロセスに、どうしても違和感が拭えませんでした。

『普通をずらして生きる――ニューロダイバーシティ入門』
(伊藤 穣一, 松本 理寿輝 著)

驚きと不思議に開かれた感受性」
これは、子供たちが本来持っている好奇心から自発的に生まれるもの。

その「モチベーション」は、外から与えられるものではない。

特にこれからの社会では「センスオブワンダー」を持っていることが生きる力だと。
それがなければ、長い人生を「生まれてよかった」と思いながら生きていくのは大変なのだと思いましいた。



AIなどの技術が進化して、コンピューター上では途轍もないスピードであらゆるものが進化・変化する今。

これから先、私たちはどのような自然を体験することになるのでしょう。

それをイメージして、その「大いなる自然」「畏怖してしまう自然」の中で、生物としての人間は、どうやって生きるのがある意味「人間らしく」生きることなのか。

私は今までの人生で、特段考えることもなく、ぼんやりと意識下にあった「人間らしさ」では、これからの変化が激しい自然を生きるのは大変なのではと思い始めています。


「知ることは感じることにくらべて半分も重要ではない」とカーソンは確信を込めて語る。知の弱さは、矛盾を許容できないことである。

『センス・オブ・ワンダー』
(レイチェル・カーソン, 森田真生, 西村ツチカ 著)より


感受性から「モノ作り」を自発的に出来る人が生きやすい世界。
スキを続けられる環境。

知識は必要なときに学べばいい。いくらでも手に入る。
子供は環境の中で遊び続けることで、いくらでも学べてセンスオブワンダーを身に着ける。

これからの変化が激しい自然の中で生きていくために一番大切なことは、

「センス・オブ・ワンダー(驚きと不思議に開かれた感受性)」


カナシ(悲し・哀し・愛し)とは、--------------

-------------「これ以上の愛情表現は不能だという自分の無力を感じて、いっそうその対象をせつなく、大切にいとおしむ気持ち」と、『古典基礎語辞典』の「かなし」の項には書かれている。

続けて、「自然の風景や物事のあまりのみごとさ・ありがたさなどに、自分の無力が痛感されるばかりにせつに心打たれる気持ち」と記されているのは特に印象的である。  

これ以上の愛情表現は不可能だという自分の無力さ、自然の風景の見事さに対比された自己の有限さ、そして力なさ。相手をうつくしむその思いが強ければ強いほど、僕たちは深い悲しみを知ることになる。

『センス・オブ・ワンダー』
(レイチェル・カーソン, 森田真生, 西村ツチカ 著)より)

3.DAOの紹介

 3.1 多様な文化と地域を守るための私たちの挑戦(新潟県山古志)


このnoteを書きながら思ったのですが、「山古志DAO」(現在は「ネオ山古志村」)のコミュニティとしての取り組みは、これからの子供たちの「センスオブワンダー」な場所になるのでは?


これからの世界を、大切な仲間とともに生きていくために必要な「web3の技術」を活用した「コミュニティや組織作りの新しい手法」が誕生しています!

「山古志DAO」も「日本DAO協会」もどなたでも参加できる「Discordコミュニティ」があります!
(リンク先にDiscordコミュニティへのリンクもあります)

 3.2 日本DAO協会