ちなみに私は夕焼けの音 秋豆絹
その人は、「あの海の色のような音で楽器を吹けるようになりたい」と言った。
その人の生まれ住んだ場所は海に囲まれた小さな島で、どの端まで行っても海が目の前を覆っていた。そんな閉塞感が嫌だったけれど、部活動である吹奏楽のコンクールが目前に迫る夏の海は、なぜか見ていて爽快な気持ちになれたそうだ。
私もその人も同じ大学の吹奏楽サークルに所属していた。その人の音楽技術はとても高く、サークルの仕事も上手に回すような人で、その人が持つ感受性も道理も当時の私にとっては憧れそのものだった。
この人が見ている景色を、その目になって私も見てみたい。そして、同じように物事を感じたい。私はその人が好きなものを好きになったし、自分が作るツイートでさえその人のいいね欲しさで言葉を紡いだ。
完全に恋してしまっている。そう思った。
大学に入ってから数年間、その人を追いかけて日々を過ごしていたものだったから、告白して見事振られたときは、この先自分が何をしたらいいかわからなくなっていた。
目に映るもの、自分が意識して見るものすべてがその人に起因していて、その人を抜いたら自分の見えているものなんて無くなってしまっていたのだ。
私は自分の身体が自分のものではなくなっていたことに愕然とし、焦りを感じた。
一人で生きるにつけ、誰かと生きるにつけ、自分起点でなければ事は破綻してしまう。自分のフィルターで前を見つめ、地に足をつけなければ、長く生きていくには大変なことになってしまうと思った。
だが、ここまで熱をもって尊敬できる人に会えたこと、自分にとって大切なことに気づけた恋ができたことは、私の人生の中で、とても崇高で愛おしい経験となってひっそりときらめき続けている。
あの人が見ていた海の色は、私が思い浮かべるそれでは到底太刀打ちできない美しさであろう。それでも、それでいいやと今では思っている。