祝?多賀城創建1300年! 山中りんたそ
今年は多賀城が創建されてから1300年らしい、ということを最近なにかの拍子に目にした。高校の歴史で学んだ記憶が正しければ、多賀城は当時政府に対して反抗的な態度を取っていた蝦夷を支配するために、東北支配の中心として設置されたものである。一応、調べてみたことろB・I・N・G・O !奈良時代の724年に建てられたということで、1300年を記念して特設のホームページがつくられていた。
そこには、多賀城に縁のある著名人からお祝いのメッセージが寄せられていた。
「多賀城創立1300年 心からおめでとうございます。」
「これからも多賀城市の発展・・・。」
ちょいまて、お祝いメッセージを送っているみなさん。全員、多賀城が建てられておめでたいというスタンスでいますが、先祖が蝦夷であった可能性を考えていますか?中央政府からの視点だと、日本の中央集権化がより進んだことになる多賀城創立はめでたいが、蝦夷からすれば武力にものいわせて支配を受けたものなので、もし先祖が蝦夷だった場合めでたいどころか忌々しいのではないだろうか。
これから得られる教訓は「歴史は強者のものであり、勝ち残った人が正義」ということだ。実は、先週末に公開された、映画”オッペンハイマー”を昨日の午後観たのだが、同じような感想をもった。この映画は原子爆弾を開発した科学者の半生を描いたドキュメンタリーだが、作中では原子爆弾の日本への投下が正義であるという当時のアメリカ社会の風潮が描かれていた(作品全体は恐ろしいまでに中立の立場をとっている)。何が正義なのかを強く訴えかけてくる映画を久々に観た。
正義の反対は悪ではなく、別の正義。とはよく言われるが、常に色々な角度から物事を考え、判断するクセと知識を身につけたいと思った。
とりあえず、私が蝦夷の末裔だとしたら、1300年記念に送る言葉は
「多賀城ができたせいで、(ひいひいひい)×13じいちゃんたちが、毎年の租に苦しみ、調を負担し、京都で労働しなくちゃいけなかったんだ!そうじゃなければ、富を蓄えてもっと大金持ちになっていたんだ!詫びろ!」である。